三月 秀嵐の日記っぽいもの

気が向いた時に、気のむくままに書きまくる乱文集。 あくまで日記っぽいもの。

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 今年は暑かったな、長く続いた残暑を忌々しそうに思い出し、黒髪黒瞳の青年――アスレイン・ルクソール――は空を見上げる。つい最近まで痛みを感じさせた太陽の光は、今や穏やかに降り注ぎ、吹く風は涼しさよりも寒さを与えてくる。風で靡くとマントはそのままに、今日も見回りの仕事に精を出す。
 そう、いつもの見回りの仕事。仕事柄、街の変化は頭に入れて置かなければならない。昨日は新しい喫茶店がオープンした。一昨日はゲーム屋が閉店していた。そして、今日は団地の取り壊しが始まっていた。こういう小さな情報が集まり、広がり、大きくなる。街の成長することは良い事だ。だが、同時に街の裏側に救う闇もまた大きくなる。その闇に対処するのが仕事故に。事が大きくなる前に対処するのが最善ではあるが。
 そんな物思いに耽りながら、アスレインが歩いている道は、2棟の団地に挟まれている。左右に同じ大きさ、同じ形の団地が建っていた。その片側、アスレインから見て左側の団地だけが取り壊されていた。
何かあったのだろうか、と思いつつ、工事現場に目をやる。無論、周りは囲いがあり、中を伺う事はできない。さほど気にすることではないと考える自分がいる一方、妙に気にしている自分がいる。前者を信じるか、後者を信じるか、でアスレインは逡巡する。
 結局、好奇心に負けて、アスレインは囲いの隙間からこっそりと中を覗くことにした。すると、工事の人たちの会話が聞こえてくる。やれ、お祓いだの、子供が行方不明になっただの、自殺が多いだの、呪われているだの。ダメ押しとばかりに轟音が鳴り響く。ここからでは見えないが、何かが倒れたらしい。途端にざわめく工事現場。話を盗み聞きする限り、重機が突然倒れたらしい。怪我人が出ていないようだが、心配にはなる。
ここまで聞いて、アスレインは気づく。これは自分の仕事ではないだろうか、と。工事現場の人と話をしようと、勝手に中に入る。入った瞬間、真夏のような湿気が肌に纏わりつく。怨霊が出ているな、と直感する。
 すると、勝手に入ってきたアスレインに気づいたのか、工事現場のリーダーらしき人が大声を何事かを叫んでいる。
「おい、そこの兄ちゃん。危ないから入ってくるな」
 その声を無視してアスレインは一足飛びに距離を詰め、リーダーらしき人の前に立つ。胸元から身分証を取り出しながら、笑みを浮かべながら、
「陰陽寮特殊戦闘教導隊アスレイン・ルクソールです。怨霊に呪われていますよ、この現場。私に任せてください」
 して、今日の仕事が増えた。空は青く、日は高く。真夏でもないのに、真っ昼間から怨霊退治である。

 アパートの入り口。照明が消され薄暗いその場所は、覗き見るものを異界へと飲み込む穴のようにも見える。ここに入れば、二度と抜け出せないのでは、と思わせる印象を、アスレインに与える。
 考え過ぎか、と、アスレインは穴の淵、アパートの入り口に立って思いを走らせる。内部から漂ってくる腐臭に似た何か。濃密な魔の気配が肌にこびりつく。いつもの怨霊退治と何かが明確に違う。されど、その違いがわからない。違和感を覚えるものの、違和感の正体がわからないもどかしさ。それが妙に、妙にアスレインを不安にさせる。
「面倒だな」
 自身の不安を押し潰すようにこぼれ出る言葉は、アスレインにしては珍しい。それでも、背筋を伸ばし、恐れるものは何もない、と言わんばかりに、アスレインは足を動かし、その穴に入り込む。
 もし、もしも、誰かがアスレインの足元に広がる影を注意深く見ていたならば、12時を過ぎたばかりで、未だに太陽は天高く輝いている時間にもかかわらず、影が黄昏時のように長く伸び、怪しく蠢いていたことに気づいただろう。

 オートロック式だったガラス戸を越えて、中に入る。左右にそれぞれエレベータと階段がある。廊下はまっすぐと奥に伸び、左右に部屋があるため光が入って来ず暗い。電気は止められており、電灯をつけることもできず、闇黒に染まる廊下を進む。おかしなところは何もない。廊下の終わりには非常階段への扉がある。その扉を開けて上に。2階、3階と同じように廊下を歩いては確認していく。おかしなところは何もない。
「おかしいねぇ」
 不安を打ち消すように声に出す。
 して、4階。小さなアパートなので、ここが最上階。ここでおかしなところがないと、それこそおかしい。故に、アスレインは臨戦態勢に切り替えて扉を開く、が何もなく。
「怨霊が襲ってくるかと思ったが」
 嫌な予感がする、胸に不安を抱えながらも、今までと同じように歩を進める。歩いている途中、アスレインはふと横を見る。ドアにはプレートがかかっており、『402』と記されていた。おかしなところは何もない。何も、ない。
「魔眼解放――リリース・イビルアイ――」
 アスレインの黒瞳が割れ金色の輝きを放つ。金色の魔眼、そのうちの一つ。あらゆる虚飾を剥がし取り真実のみを映し出す能力を解放する。
 アスレインは再びドアを見る。
 ドアの色は何の変哲もない緑。壁が白いため、わかりやすくするためだろう。それはわかる。だが、これはなんだろう。黒くて昏い。緑色なのはわかっているのに黒く見える。アスレインの金色の瞳には黒に映る。
 ――すぅ、――はぁ。
 深呼吸。先程から募る不安が最高潮に達する。ドアのノブに手をかけ、一気に引く。果たして、
「ビンゴ」
 先程から漂っていた腐臭が強くなる。足を踏み入れたら、水の中にいるのかと錯覚してしまうほどの湿度の高い空気が体中に絡みつく。まるで、アスレインを捉えるかのように。
 玄関に入り奥を見る。廊下の先に部屋。ベランダに繋がっているであろう窓には暗色のカーテンがかけられ、太陽からの明かりを遮断している。廊下の途中には流し台が備え付けられ、それに向かい合う形でトイレや風呂に繋がるドアが開け放たれている。
 ここで一度退くか、進むか、と考え、悩んだ自分を振り切るように廊下へと足を進める。瞬間、ドアが勝手に閉まり、明かりが灯される。
 判断を誤ったかな、と思いながらも奥の部屋にたどり着く。部屋の中央には丸いテーブルが置かれ、その上には、
「5年日記? また変わったものを書いていたんだな」
 その日記を手に取り、めくり始める。最初の日付は……。

20XX/4/1
 今日から一人暮らし。これで親の目を気にせず、好きな事が出来る。まずは部屋の整理だ。頑張るぞ。

20XX/4/2
 今日は本棚を注文した。実家にいた頃は、そんな怖い本を本棚に並べるな、と言われて並べられなかったが、これで並べられる。到着が楽しみ。

 ふと、アスレインは部屋の壁を見る。左の壁一面を埋め尽くす本棚。上の方には文庫本。黒かったり、青かったり、紫だったり。知らないレーベルもあるが、見覚えのあるレーベルもいくつか見える。
「ガガガ文庫にスニーカー文庫。GA文庫まで。どういう基準で並べているんだ」
 さらに本棚の下の方を見れば無駄に箱の大きなゲームがいくつか散見できる。そのゲームのタイトルを詠み、さらに先ほどの文庫本のタイトルを改めて見る。
「クトゥルー作品の専用棚か」
 こういう分け方は好きだな、感心する。だが、クトゥルーと怨霊、どう結びつくんだ、その疑問の答えを探すかのように日記をさらに読み進める。
 足元では、蛍光灯に照らされたアスレインの影が怪しく蠢いている。

20XX/6/5
 探していたプログラムをネットでやっと見つけた。次の休みにでも調べながら使っていこう。

20XX/7/18
 妙な夢を見た。蒸し暑い夜。水を飲もうと思って蛇口を捻ったら赤い液体が流れだす。それを全く気にせず飲む夢。あれは何だったんだろう。

20XX/7/31
 排水口から妙な臭いがしたので掃除をした。夏場だし、定期的に掃除しないと腐臭がするのは当然か。でも、赤くなっていたのには驚いた。指でも切ったのか、それともどっか錆びていたのか。

20XX/8/15
 友人が泊まりに来た。酒を飲みながら話をしていたら、突然、「窓に! 窓に!」と言い出した時はどうしようかと思った。いくら、ラヴクラフトの著作で盛り上がっていたからって、その反応はどうよ。

20XX/9/1
 最近、妙に部屋が臭イ。掃除はきちんとしてイるし、ゴミも捨ててイる。芳香剤も買ってイるのに、なんでだろ。

20XX/9/25
 床ガ濡れてイる。水をコぼした記憶はなイのに、なんでだろ。最近、コウイウ事が多イカらな。除霊して貰った方が良イのカ。

20XX/9/30
 除霊師を呼んダのに来なイ。ドウやら、悪徳除霊師に引ッカカッタよウダ。クソ。

20XX/10/5
 調子ガ悪イ。気持チガ悪イ体ガ重イ。自分ノ体ガ自分ノもノデ……ナンダコレナンナンダコレコノテハダレノモノナンダワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカ仇品ヴィンンの死ンンふぉなぼお

 読めん、とアスレインは思う。一体、何があったのか、何がここまで狂わせたのか。乱れながらも狂ったように描かれた文字。書いたというより描かれた文字群。
 次のページを開くと、

20

 次の日以降は意味の読み取れる文章はない。ただ乱れた線がいくつも描かれ、黒く埋め尽くされているのみ。めくればめくるほど、その色は濃くなり、最後の方は紙が破れている。
 なんだったんだこれ、と思いながら、アスレインは日記を閉じる。ふと顔を上げると同時に、明かりが突然消える。
 どうしたものかな、と周りを見回して対処法を考える。明かりがなくとも、アスレインの金色の瞳には何ら支障はなく、部屋を見通す。すると、本棚に向かい合う壁に赤色の光を見つける。よく見ればパソコン用のディスプレイ。黒い画面に赤で文字が描かれている。
「起動時の文字……のわけないよな」
 見た瞬間に感じた悪寒を誤魔化すために、声を出す。読もうとすればするほど目が痛くなる。まるで、魔眼自身が意思を持ち、見るなと言わんばかりに。されど、アスレインはその痛みを無視して画面を凝視する。
 黒。画面の色。深淵の連想させる色。パソコンの起動直後の画面。覗きこむとどこまでも堕ちていきそうな印象を与える。
 赤。文字の色。人の血を思い出させる色。パソコンの文字にしては似つかわしくなくフォント。滲んだ文字は書かれる傍から滴り落ちる。
 そして、音。キーボードを叩く音。文字が進むのに合わせて、カチャカチャ、カチャカチャ、と。この部屋にはアスレインしかおらず、アスレインはキーボードを叩いていないにもかかわらず。
 あまりにも鮮やかな赤色に、痛みを忘れ、目を奪われ、ディスプレイに手を伸ばす。されど、触れても何も起こらず、ディスプレイの冷たさだけが手に残る。
 ……それもそうか、と期待した――何を期待していたのかはアスレイン自身にもわからないが――反応が起きず胸を撫で下ろした直後、アスレインの後ろで何か蠢いた。
 アスレインの影が盛り上がる。最初に現れたのは髪の毛。影よりもなお濃い黒が蠢く。その髪と髪の間に覗く顔は髪とは対照的に透き通った白。次に腕が伸びて地面を抑える。プールから上がるような動作で立ち上がったところで、アスレインはその人影に目を向ける。眼に入るのは白い顔とそれを覆う黒。
「おはよう」
 声をかけられた相手――体つきからは女性と見受けられる――は、虚ろにな瞳をアスレインに向け、まわりを見渡し、そして、またアスレインを見る。その瞳に輝きが戻り、少し慌てたように、
「ね、寝てないよ」
「おはよう。エルファス・フィルレイス」
「あう」
 エルファスと呼ばれた女性は、観念したかのようにため息をつく。
「あれだけ、影がめちゃくちゃな動きをしていたら寝てるってわかるわ。もう少し、バレないようにやってくれ。というか、寝るな」
「はーい。で、アス君、何かわかった」
「いや、何も。せいぜいこれを読んでいただけだ」
 そう言って、アスレインは持っていた日記をエルファスに渡す。
「ふーん」
 エルファスは手に取った日記に目を落とし、再びアスレインの方を見る。
「ところで、後ろの画面は放っておいていいの?」
「へ?」
 アスレインが目を戻せば、ディスプレイに描かれていた文字が滴り落ち、黒を赤く紅く朱く染め上げている。画面全てが血の色に塗りつぶされると同時に中心に向かって渦を巻き魔法陣を描き出す。描き出された魔法陣は刹那の瞬間に消え失せ、深い穴を呼び出す。呼び出された穴は、自身の淵を侵し砕き食らう。ディスプレイを飲み干し、壁を覆い尽くし、部屋を包み込む。
 この間、実に一瞬。瞬く間に成長した深淵の穴に抗う手段などあるわけもなく。
「あ」
 アスレインかエルファスか、どちらが上げた声が、もしくは、2人とも上げた声なのかもしれないが、その一言すらをも飲み込み、静寂が訪れる。

 アスレインが意識を取り戻した時に認識したのは白。白い闇。輝くわけでも照らし出すわけでもなく、白に塗りたくられた白。しかして、その闇はアスレインという存在そのものを優しく包み込む。自分自身の肉体の境界線を突き崩し、自分が自分であるという確固たる確信が揺らぐ。そこにあるのは平穏。暖かみを持った何かに包み込まれ、安心感とともにアスレインは――。











 ――否。










 ――――否!

 白い闇の一点に黒が墨汁の如き黒が現れる。その黒はより濃くより深くより強くなり、周囲を染め上げる。さらに黒い闇の中から金色の光が漏れ出す。其は反逆の意志。反抗の意思。抵抗の意志。危ういところで、アスレインは自分を取り戻す。
(危なかった)
 声に出したつもりだが、音としては響かず、頭の中に響き渡る。
(これは困った)
 エルファスを探そうにも音は出せない。目で探そうとも視界は白一色、アニメだったら手抜きとか言われそうだな、と場違いな事を考えていると、
(呼んだ?)
 エルファスの声が響く。直接、意識の中に語りかけるかのように。
(無事か)
(まあね。これくらいなら同化出来るし)
 アスレインは近くに気配が現れるのを感じる。
(で、アス君。なんなのかな、ここ?)
(さてな。『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』というし、深淵にでも覗きこまれたんじゃないかな)
(それはそういう意味で使う言葉じゃないと思うな。どっちかというと、『ミイラ取りがミイラになる』じゃないかな)
(ああ、そうだな。さて、いつまでもこうしていても仕方ないし、抜け出るか)
(何か手段あるの?)
(ただの強行突破。前にも似たような事を何度か経験しているから、なんとかなるだろう)
 アスレインの金色の瞳が、突如鮮烈に輝く。黒い闇は白い闇を侵食する。狂気と恐怖を伴った黄金の光は、白と黒の境界線を見つめる。境界線上のある一点を見つめ、その一点に、両手の指を突き刺す。突き刺した両手は、両開きの引き戸をこじ開けるように左右に広げられる。
(肉体酷使――オーヴァ・ドライブ――だ)

 深淵の穴が収縮し始める。異界と異界を繋ぎ終え、己の仕事を終えたかのように。気がつけば、そこには数多の気配が溢れる。あるものは魚鱗で覆われた人間のような二足歩行の生物。あるものは昏い黒色の肌をした屈強な肉体と山羊の頭を持った生物。あるものは人間ならば首の根元にある部分に口のある生物。それらを始めとする、ありとあらゆる異界の、ありとあらゆる異形のものどもが、跳梁跋扈し始める。其れらはなべて、これより始まる狂気と狂乱に満ち満ちた狂宴の幕開けを、今か今かと待ち望んでいる。
 ――暴飲を求める。人の生き血を啜る。
 ――暴食を求める。人の肉を生きたまま喰らう。
 ――暴虐を求める。人の慟哭を享楽に、人の悲嘆を嘲笑う。
 まさに狂宴。魑魅魍魎と悪鬼羅刹による極悪無比で悪逆非道な狂宴。深淵の穴が閉じられた瞬間に始まる。まだかまだかと待ち構え、早く早くと煽りたてる。抑えきれぬ欲望が、己の体を突き動かす。足で地面を戦うもの。手に持った武器を振り回すもの。舌なめずりをするもの。その行為が不協和音を生み、不協和音が一体感を醸し出す。
 ――音が止む。穴が閉じられる。暗闇の中ですら、なお濃い黒は一点に凝縮され収縮され収束されていく。笑みが浮かぶ。異形のものに笑みが浮かぶ。これより始まる享楽と快楽と悦楽に心を踊らせる。
 しかし、しかし、彼らの野望は果たされることはない。
 穴が閉じられたと思った瞬間、穴の内側から10の指が生えた。今にも消えんとした穴の淵を掴み、広げる。次に見えたのは光。その光を見て、邪悪が一歩、わずか一歩だが後ずさる。邪悪を滅する清浄な光だったからではなく、あまりにも強い憎悪に猛る炎を宿した金色の光故に。その輝きを内在し、穴は広がり続ける。そして、

 ――世界が砕ける音がした。

 闇と光と生と死と、異次元と異次元、異界と異界。その境界線上に立つ影2つ。
 異形のものよりもなお禍々しい黄金の光を爛々と輝かす瞳と闇よりもなお昏い色の魔力を全身より解き放つはアスレイン。抜き放たれた剣と刀は闇夜を切り裂く月光の如く冴え渡る。
 対し、もう1人。エルファスは闇に溶け込み、その姿を見せぬ。白い顔も手も闇に溶け込み、影色の瞳は異形のものどもを殺さんと射抜く。
 最初に反応したのは顔のない化け物。アスレインの顔を喰らわんと牙を向く。その牙がアスレインの頭蓋を襲う瞬間、透明な黒壁にぶつかる。同時に化け物の後ろに同じ壁が現れ、押し花を作るかのように押しつぶす。
 次に反応したのは子鬼と半魚人。各々の武器を振りかざし、襲いかかる。だが、彼らは気づかない。己の身に纏わりつく糸に。糸は彼らの体に食い込み、包丁で豆腐を切るかのように斬断する。
「異界の者は、異界に帰れ」
 アスレインの言葉と同時に、闇を切り裂く闇色の杭が生み出される。
 ここは最終防衛線。己が引けば、自分たちの世界が侵攻され侵略され侵食される。
 故にここは最前線。世界の果ての激戦区。周りが敵だけならば、思う存分暴れることが出来る。
 境界線上で嵐が巻き起こる。
「全身と全霊を賭して――」
 アスレインが持つ刃が輝きを増し、必滅の意志を持って踊り狂う。
「全力と全開で持って――」
 エルファスの左手から垂れる糸。左手がピアノを引くかのように動くたびに敵が切り刻まれる。右手は山羊の頭の化け物の胸を貫く。必殺の呪いが乗った貫手は、わずか一撃で持って化け物を消滅させる。
「全壊させる」
 この狂った境界線上の小さな世界を、破壊し崩壊させんと嵐が猛り狂う。
「死に――晒せ」
 アスレインの魔力が暴走気味に暴れ狂う。闇色の杭を落とし、闇色の壁で押し潰す。輝く瞳は見た者を操り同士討ちを強要し、両の手に持った白銀の刃は縦横無尽に奔り抜ける。エルファスは髪で二丁の銃と二振りの短剣を操り、咆哮は衝撃波を生む。足元からは影色の茨を生やし、変幻自在に駆け抜ける。
 狂宴。化け物の、化け物による、化け物のための、血と狂気に塗れた狂宴。異形のものどもと人外の領域に足を踏み入れた人間による狂宴。異形のものどもは、自らが贄であることを今更ながら自覚する。だが、悲しいかな、逃れることはもうできない。故に僅かな生存を信じて立ち向かってくるのみ。立ち向かう先にいるのは、理不尽と不条理と暴力の体現者。その体現方法は嵐。その嵐の名は――。
「エル。殲滅するぞ」
「了解。アス君」
――蹂躙。

「ということがあったわけだ」
 縁側に座りながら、アスレインは、隣にいる女性――風呂あがりなのか蒼を基調とした浴衣を着ている――に話し終える。
「アホね」
「なんでだよ」
「え、だって、油断と慢心でひどい目にあった、って話でしょ」
 そう言って、浴衣姿の女性――エレミナ・フォルツテンド――は、栗色の髪をかき上げながら、湯気が昇る湯のみをアスレインに渡す。
「ありがとう。って、それは否定出来ないな」
 そう言って、湯のみに口をつける。
「でしょう」
「って、熱っ」
「ちゃんと冷まさないから」
 思わず湯のみを口から離して舌を出す。
「で、結局、今回は何が原因だったのよ」
「ネットって怖いわー」
「はっ? いきなり何を気持ち悪い声を出してるのよ」
「いや、今調べさせている最中だけど、インターネット上で『悪魔召喚プログラム』か『門開放プログラム』でも手に入れてきたんじゃないかな。どっちも異界との道を開くものだから。どうせ中途半端に発動して、次から次へと色んな世界の扉を開いちゃったんだろう。怨霊が出たのは、たまたま霊界と繋がった時に霊道でもできたんじゃないかな。その辺りはこれから調べるところだけど。ああ、報告書が面倒。『ネットって怖いわー』とか書いて終わらせたい。って、何を飲んでます?」
 アスレインがエレミナに目を向けると、彼女もまた同じように湯のみを手に持っている。
「梅酒をお湯で割ったのよ。あんたの話が長いから取ってきたのよ」
「お前……。自分で話を振っておきながら」
「あたしが聞きたいのは、あんたが何を怖がっていたか、よ」
「へ? あ、不安感の事か。あれは簡単。戦力不足」
「え?」
「俺の場合、異界の門を開こうとすると、必然的に肉体酷使――オーヴァ・ドライブ――を使わないといけないからね。リーテスがいれば、魔剣の一振りで簡単に斬り開けるんだけど。だというのに、その不安感を無視して、結果的に寿命を縮める始末。いやはや、初心忘れるべからず。油断大敵とはこのことだね。俺自身、こんな事で不安になるわけ無い、と思っていたのが失敗だった」
 そう言って、薬湯を飲み干す。
「うわ、冷めてきたら苦味が。うぇ」
「アホね。大体、それ効いてるわけじゃないのでしょう」
「……いや、充分効いてるよ。10年くらい縮んだ寿命が9年11ヶ月と30日くらい回復した感じ」
 嘘ね、とエレミナは心の中で思う。だが、その想いはおくびも出さずに、
「1秒先を生き残るために寿命を10年削る技だっけ。それは得なの?」
「魔王経由で供給される魔力を全開で使い切るんだから、それくらい仕方ないさ。それに使わなかったら、とっくに死んでいた。もう、10年以上を前にな……」
 そう言って、アスレインは空を見上げる。広がるのは輝く望月と数多の星々。
 話題を間違えた、とエレミナは思う。あの話は自分にとっても、アスレインにとってもあまり良い思い出ではないのだから。
「あんたも飲む?」
 エレミナは話題を逸らそうと梅酒の入った瓶をアスレインに見せる。
「じゃ、一杯だけ」
 そう言って、薬湯が入っていた湯のみをエレミナの方に突き出す。その湯のみをエレミナは受け取り、梅酒とお湯を1:1で入れる。
「はい」
 再びアスレインはエレミナから湯のみを受け取り、口をつける。そして、離す。
「薬湯の味が混ざって、名状しがたい味になってる」
「でしょうね」
 仕方ないと言わんばかりの顔をして、アスレインは一気に飲み干す。
「じゃ、今日はこれでお暇するわ」
 そう言って、アスレインが立ち上がる。
「ねぇ、アス」
「ん?」
「怖くなかった?」
「何が?」
「別の世界に飲み込まれた時」
「いや、それほどでも。ヤマトノオロチの時に似たような状況になっていた事があったし。それに比べれば、むしろ楽な方」
「そう。強くなったわね」
「どうだろう。ただ、周りに頼る事を覚えただけさ。今日はそれをやらなくて失敗したわけだが」
アスレインの顔に浮かぶのは苦笑。
「アホね。あたしになら、いつでも頼っていいわよ」
「頼りにしてるさ。ヤマタノオロチの時も、その前からだって、助けてもらってるしな」
「そっか」
 少し、いや、だいぶ嬉しい、そんな気持ちを隠すためにエレミナはアスレインから顔を背ける。
「頼るついでに、晩御飯はどうする? 食べていく? と言っても、そんな大層なものは用意できないけど。」
「いや、今日は家で食べるって言ってるからな。じゃ、またな」
「そう言って別れた後、アスレインはエレミナ・フォルツテンドという少女の姿を見ることはなかったのである」
「おい、何不吉なナレーションを自分で言ってる。ついでに、少女って年齢じゃないだろ」
「あら、こっちの方が良かった? その日を境に、エレミナはアスレイン・ルクソールの笑顔を見ることはなかった」
「俺を殺すな」
「言われたくなかったら、こまめに顔を出しなさい」
 手を振りながら、エレミナは冷めた言葉を吐く。
「わかったよ。じゃあな」
 後ろ姿で手を振りながら、アスレインは境内に向かっていき、闇に溶けるように消える。アスレインがいなくなったのを確認した後、エレミナは庭の真ん中に歩いて行く。長い髪が風に吹かれて靡く。
「……」
 浴衣の袖からは取り出すのは筒のようなもの。卒業証書などを入れるような筒よりも少し短く細い。それを左手で持ち、魔力を通す。すると、その筒の両端から光が溢れ、弓が生まれる。右手にはいつの間にか取り出した白銀の剣。まるでそれを矢にするかのように、弓につがえる。
 エレミナの冷めた目は天空に浮かぶ月を射抜く。銀の色を湛えて、夜の街を見守る月。その月に向かって、矢を放つ。夜を切り裂く銀の輝き。一直線に月へと向かい、流星の如く解けて消える。
「何してんのかな、あたし」
 酔っているのかな、と考えながら庭を後にする。
 天には月と星。世の栄枯を見守るように、今宵も静かに輝き続ける。
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「ふぁ」
 こらえきれずにあくびを一つ。
「眠いわね」
 目をこすって空を見上げれば、薄っすらと星の瞬きが見える。まだ日が昇り切らない早朝、寒空のもと、巫女装束の女性エレミナは箒を片手に、境内に立っていた。彼女にとっての日常が始まる。
「ふぁぁああ」
 こらえきれずにまたあくび。腕を伸ばして胸を反らしながら、ちらりと境内の横の林を見る。嫌でも、昨日の出来事を思い出される。
「あの女・・・」
 怒気を含んだ言葉が唇から紡がれる。
「人が疲れて寝ているというのに」
 口から言葉が出ていることには気づいて入るものの、エレミナの愚痴は止まらない。口に出して言えば、眠気も少しは晴れてくれるだろう、と思いながらつぶやき続ける。
「なんだってまた狙ったように、丑の時参りなんかするのよ。煩くて寝られないから追い返す羽目になったし。今日も来たら弓の的にしてやろうかしら」
 物騒なことを当然の事のように言いながらも、掃除をする手は緩めない。あらかた終えた頃には、東の空は明るくなり、陽の光が境内に差し込む。
 もう、こんな時間か。そろそろ朝ごはんを作らないと。お母さんは起きたかしら、とこれからやる事を思い浮かべながら、エレミナは部屋に戻ろうとし、
「あ、そういえば、あの子、今日来るのよね」
 思わず、口に出していた。気づかずに、さらに続ける。
「あれだけ働かされたのだから、お願いの一つでも聽いてもらおう。ふふ・・・ふふふふ」
 こらえ切れない笑みを浮かべながら、足取り軽く部屋に戻っていく。

 同時刻。陰陽寮。
 これを見直したら、帰るか、と眠そうに目をこすりながら、アスレインは印刷された数枚綴りのA4用紙を見る。
 そこには、『報告書』と上部に書かれている。《門》を巡る一連の騒動に関する報告書である。火の精霊の暴走から《門》の簡易封印までの一連の出来事が、時系列順にまとめてある。
 ああ、妙な誤字が。寝ぼけてたな、俺、自分で自分に文句を言いながらも、間違った箇所を赤のボールペンで修正していく。
 思ったより多いし、と今度は心の中で頭を抱える。
 ひと通り見返した後、いたるところに赤字で修正が入った報告書を見ながら、パソコンのワードで1つずつ直していく。
 画面に映る報告書と手元に印刷された報告書を交互に見、間違えた箇所の修正を全て終えた段階で印刷。最後に自分のサインを書きこむ。
 完成した報告書を机に置き、すっかり冷めてしまったコーヒーをに口をつける。そのまま、部屋の窓を開けに行く。窓から入ってくる冷気が眠い頭を目覚めさせていく。
「はぁ、やっと終わった。って、もう朝か」
 夜の黒さは薄くなり、空は少しずつ青く染まっていく。外の明るさに目を細めながら、コーヒーをさらに一口。
「ふぅ」
 空は青く染まっていく。
「良い天気。良い日になりそうだ」
 そう言って、突然体を震わせる。
 ・・・なんか、やな予感がする。報告書、エレのサインを貰いに行くのが怖いなあ、冷や汗を垂らしながらせつに感じる。
 仕方ない、とコーヒーを一気に飲み干して思う。
 コンビニで何か洋菓子でも買って、機嫌を伺おう。

「何をお願いしようかしら。ふふふ・・・楽しくなってきたわね」
「こちらです」
 登山道の途中で月読が立ち止まり、脇の森を指し示す。獣道すらない緑の群れ。そこに久遠は迷わず足を踏み入れる。木漏れ日すら通さない鬱蒼としいた森の中を1人行く。本来の登山道から離れ、深き闇の中へ。
「あの、なぜ着いてきてくれないのですか?」
「あ、すまん。少し気になってな」
 木漏れ日すら通さない鬱蒼とした森。今は12月である。それにも関わらず、木々は生い茂り、山を覆い尽くしている。
「嫌な気ね」
「本当だな。精霊が暴走しているのか」
「うーん、その割には殺気や狂気を感じないのよね」
 自然が狂っていることはわかるものの、その根本的な原因が何なのかがわからず、首を傾げる3人。立ち止まり、黙考しようとするものの、
「あの、早く行きませんか」
 森の中で待つ月読に声をかけられ、我に返る。
「そうだな。わからなければ前に進むのが俺達だったな」
「ええ、そうです。では、行きましょう」
 そうして、アスレイン達は闇の中、深奥へと歩き出す。
「そういえば、アス、あんた、1年中咲いている桜の話、知ってる?」
「なんだ、藪から棒に」
「ここみたいに、気が乱れている山が近くにあるのよ。その山の頂上には大きな桜の木があるのよ。しかも、1年中満開」
「春になったら花見にでも行くか。散らなない桜に風情があるとは思えないが」
「いや、言いたいのはそこじゃなくてね。出るのよ。いえ、出たのよ」
「何が?」
「鬼」
「へ?」
「昔の話よ。10年くらい前だったかな」
「10年前なら、もうこっちにいたはずだけど、そんな噂は聞いた記憶が無いぞ」
「じゃあ、もう少し前かしら。いやねえ、この歳になってくると、時々、自分がいくつだったかわからなくなって」
「いやいや、俺もお前もまだ20代だよ。枯れるのが早いよ、エレミナさん」
「いやいや、10代に比べればもう歳よ。歳。まあ、そんなことはどうでもよくて。鬼の話だけど」
「ああ、どうなったんだ」
「退治された。本当は退治するべきじゃなかったと、最近は思うようになったわ」
「なんでまた」
「山に入った人以外は襲っていなかったから」
「そういうことか。人が妖の領域に勝手に入って、勝手に殺されていただけか」
「そういうこと。しばらくは、誰も近づこうとしなかったんだけどね。最近、雑誌で紹介されたらしく、昔みたいに観光地になっているみたいね」
「それの何が問題なの?」
「大有りですよ。エルファスさん」
 ここに来て、会話に加わるエルファスと月読。
「んーなんと説明していいのやら」
「簡単よ。類は友を呼ぶ。気が狂っている場所は、妖を惹きつける。惹きつけられた妖の目の前には無防備な人間がいる」
「ああ、そういう。んー倒せばいいじゃない」
「素手で鬼退治できる奴は、そういないよ、エルファスさん」
「私はできるけどなあ」
「そりゃ、あんたわね」
「あはは、確かに我々ならば、鬼の1人や2人くらいなら、素手でも倒すなり、逃げきるなり出来ますね」
「まあ、鬼が出た時に対処するしかないさ。人の住まわない地は魔の領域。知らない奴なんていないよ」
「そうね。みんな、あんたみたいな考え方ならいいわね」
「さて、着きましたよ。多分、ここでしょうね」
 先頭を行く月読が歩みを止める。
 アスレイン達の眼前に広がるは、森の中に開けた地。もし、晴れていたら、陽光が大地に降り注がれていただろう。そこに木が全くなく、ハゲ山のような更地が広がっている。草も生えておらず、ところどころに地肌が覗くのみ。そう、ところどころに地肌が覗く。開けた土地の真ん中に暗い穴が覗く。穴から溢れだした黒いモノは大地を覆い、空をも汚す。山裾を伝い、少しずつ周りの緑を侵食する。喰われた緑は黒く染まり、次の獲物を貪る。
「えらいことになってるな」
 面倒そうな声でアスレインが呟く。
「さて、どうしましょう?」
「ねぇ」
「封印するしかなかろう。頼りにしてるぞ、月読」
「ねぇ」
「任されました。期待には応えましょう」
「ねぇ」
「ねぇ、アス君」
「何さ、エル」
「ねぇ・・・いい加減、あたしの話を聞きなさい」
「いや、ごめん。言いたいことはなんとなくわかってるんで聞きたくない」
「おい」
「で、アス君。あの黒いのが人型をとって、こっちに向かっているような気がするんだけど、放っておいて良いの?」
「・・・人があえて見ないようにしていたのに」
「あんたねぇ」
「ああ、面倒くさい。とりあえず、この瘴気ごと吹き散らす。月読は封印の準備を。エルは前衛。エレはその辺から援護射撃を頼む」
「かしこまりました」
 袖から幾つかの呪符を取り出しながら月読。
「はい、了解」
 言った時には敵陣に飛び込むエルファス。
「あんたに私への命令権ってあるのかしら」
「お願いします、エレミナさん」
「冗談よ。当たらないように気をつけなさい」
 弓を構えながらエレミナ。
「信頼してるよ」
 そう言って飛び出すアスレイン。
「はいはい。じゃ、期待に応えましょうか」
 胸元から1本の筒を取り出し、嘆息する。
 次の瞬間、筒の両端が伸びて内側に反りを作る。さらに向い合った両端から光が走り、光の弦が生まれる。完成した弓を矢をつがえずに、空に向け、弦を持ち、弓を引き絞る。光の矢が生まれて、天に解き放たれる。天で分かたれた矢は光の雨となりて、敵味方を区別せずに戦場に降り注ぐ。
「光の雨、ってとこかな。相変わらず。俺も負けてられないな」
 周りを見渡せば、光の矢に貫かれる黒い異形群。それでも、次から次へと生まれてくるため、一向に減らない。だが、それに怯むこと無く、アスレインは右手を上げる
「闇の驟雨。降り注いで、ぶち抜け」
 掲げた手で指を鳴らす。アスレインの真上から漆黒の雨が降り注ぐ。驟雨に相応しき速度で。驟雨と呼ぶには不相応な大きさで。あえて言うなれば、槍。否、杭。次から次へと降り注ぎ、次から次へと、異形を貫く。だが、
「・・・なんか、吸収されている気がする」
 眼前の光景を見て、頭を抱えたくなる。幾つもの杭に穿たれながら、それを吸収して一回り二回りと大きくなっていく黒い人型。
「試してみるか。秘剣――」
 左腰に佩いた刀を握り、
「――邪霊滅殺!」
 解き放たれた刃は、気の一閃を伴い、前方の敵を薙ぎ払う。アスレインの想定通り、一番前の敵に当たった時点で気の刃は霧散する。
「威力が減殺されている?」
「あ、アス君。アス君は空中に浮いているから気づきにくいかもしれないけど、あの黒いの、気を周りから吸っているから気をつけて」
「隊長さん、下手な魔法も魔力を吸われるだけですので気をつけて下さい」
「さいですか。今気づいたよ、こんちくしょうめ。ああ、もう、面倒な」
 見れば、エルファスは両手の指から黒い糸のようなものを何本を伸ばし、自分の体の一部のように操る。左手から出ているのは地面垂らし、右手から出ているのは鞭のようにしならせて敵を切り裂く。もはや一つの結界。誰だよ、あんな危険なものを危険人物に渡したのは、と、アスレインは見惚れつつも思う。されど、今は戦闘中。その隙をついてアスレインの背後、大地に淀む黒いモノがアスレインを飲み込もうと覆いかぶさってくる。が、地面から突然伸びた黒い糸がいくつも突き刺さり、刺さった場所から爆発を起こす。さらに、止めと言わんばかりに光の矢が直撃する。
「アス君、ぼーっとしすぎ」
「何してんのよ、あんた」
「すまん」
「あのー、こっちも手伝って欲しいんですけどね」
 少し離れた場所から月読の声が聞こえる。そちらに目を向ければ、呪符と錫杖で対抗している月読が見える。門《ゲート》の封印のために後ろに回り込もうとしていたのだが、どうやら、気づかれたらしい。
「月読、少し下がれ。どうも、魔力や気に反応しているみたい。道は開く」
「かしこまりました」
 呪符をばら撒き、相手を牽制しながら下がってくる。それを越えてくる敵も、エルファスの糸とエレミナの矢によって尽く撃ち抜かれていく。されど、無限の軍団。撃ち漏らした敵が月読を襲う。
「仕方ありませんね」
 左手に持っていた錫杖の先の方を右手で掴む。チィン、と鈴の音が響き、白刃が輝く。抜かれた刃は、異形を斬り裂き、消失させる。
「相変わらず、疾いねぇ、月読」
「いえいえ、隊長さんほどではありませんよ」
 アスレインの後ろにまわり、背中に背負った鞄から呪符を取り出しながら、月読は返答する。
「本日、用意している呪符はこれで終わりです」
「ふむ。とりあえず、出来るところまでやって、無理そうなら撤収するか。それでいい」
 腰に据えた直剣――布都御魂剣――に手を伸ばしながら、アスレインは今後の勝利条件を確認する。
「いいも何も、あんたが責任者でしょうが。ちゃんと責任者らしくしなさい」
「それを言われると痛いな。誰も死なないようにはするさ」
「私はそれでいいかな。ここで逃げるのは癪だし」
「隊長さんの判断に任せます」
「ありがとう。じゃあ、やりますか。力を借りるよ、ルシファー。魔王降臨――アドヴェンド・ルシファー――」
 自らが契約している魔王の力を借りる。黒い瞳は金色に輝き、同時に異界の魔力を無尽蔵に引き出す。黒い魔力が体を駆け巡る。続けて、解き放つは淡く白く輝く鋼の刃。その刃に異界の魔力を込める。黒き力を白く染め上げ、
「魔性を吹き散らせ! 神より賜りし降魔の剣! 布都御魂剣!」
 薙ぎ払われた刃は白き閃光を纏い、闇黒の異形を文字通り吹き散らす。
「ふぅ。この程度でも結構きつく・・・」
「歳ね」
「さよか。っと、アホな事言ってないで、さっさと封印しよう。今なら、敵も・・・」
 すると、目の前の穴から大量の粘ついた黒い液体が流れ落ちる。流れ落ちた液体は一箇所に集まり、その大きさを増していく。
「・・・わお」
「西洋の竜かしらね。なんでまた竜なのかしら」
 と、エレミナの疑問に、
「最近、『セブンスドラゴン2020』をやっているせいかな」
 と、アスレイン。
「3DSの『 モンスターハンター3(トライ)G』をやっているからかも」
 続けて、エルファス。
「久遠に『終わりのクロニクル』を借りて、読み始めているせいかもしれません」
 最後に、月読。
「あんた達ねぇ」
 エレミナは半眼で目の前の、荒事担当の3人を睥睨しつつ、
「で、どうすんのよ」
「どうするもこうするも、やるしかなかろう。もう、なんだよ。敵が集まって巨大化ってRPGのボスかよ。俺の人生RPGかよ。だったら、もうとっくにラスボス倒してるわ。もうエピローグだよ」
「じゃ、きっと隠しボスね。最近はクリア後も充実してるんでしょ」
「俺の人生は俺にどこまでやりこませる気だ」
「それで、どうするんです?」
「やることはかわらないよ。月読は封印の準備。エレ、闇の障壁で足場を作るから射撃の準備。一撃の威力ならお前が一番上だ。エル、俺と一緒に奴の気を引く」
「了解!」
「かしこまりました」
「はいはい」
「というわけで、」
 各自の了解を得た上で、アスレインは月読の胸ぐらを掴む。
「放り投げるよ。エル、月読が狙われないように気を引け」
「了解」
 腰に装着している鞘から、ニ振りのナイフを取り出し、エルファスが駆ける。
「じゃ、封印の方は任せたぞ、月読。安心しろ、風の魔術で保護はする」
 そう言って、アスレインはさも当然の如く月読を放り投げる。
「まさか、本当に投げられるとは」
 されど、投げられた月読も冷静。空中で一回転して両足から着地し、地面を滑りながら黒竜の後ろ、さらに門《ゲート》の後ろにたどり着く。
「展開せよ、闇の障壁」
 続けて、アスレインが地面と平行になるように障壁を生みだす。
「エレ」
「はいはい」
 その障壁にエレミナが登る。登ると同時に障壁は上昇を開始する。
「こんなものでいい」
「充分よ。こっちは良いから、エルを助けに行ってあげなさい」
「言われなくても」
 そう言うが早いか、アスレインもまた黒竜に向かって駆け出す。
「さて」
 1人残されたエレミナは状況を確認する。黒竜相手に戦うアスレインとエルファスを確認。さらに門《ゲート》を中心に陣を構築し、儀式の準備をする月読を見る。
「アメノムラクモ」
 エレミナの言葉とともに手に生まれるは、剣という最低限の形をしただけの剣。矢の代わりに弓につがえ、引き絞る。的は黒竜。半眼の目は、面倒そうな色を宿しながらも、迷いなく黒竜を狙う。その視線の先にあるものは。

「さて、どうしたものかな」
 そう呟きながらも、エルファスの行動は始まっている。二振りの短剣を手に縦横無尽に黒竜を斬りつける。斬っては離れ、離れては近づき、近づいては斬る。元を正せば不定形。黒竜の形をとって入るものの、その攻撃方法まで竜と同じわけではない。全身至るところから、触手を伸ばす。腕の形をとりエルファスを掴もうとする。剣の形をとりエルファスを両断しようとする。爪の形をとりエルファスを串刺しにしようとする。その一連の攻撃を、躱し、切り捨て、弾く。
「困ったわね。近づけない」
 嘆息する間も敵の攻撃は続く。あらゆる方向からの攻撃を、避けて斬って受けて弾いて切り抜け続ける。
「手伝うよ、エル」
 エルファスを狙っていた触手の尽くが切り裂かれ、地に落ちるより早く霧散する。
「アス君」
「一気呵成にケリをつけるぞ」
「りょーかい」
 言うが早いか、エルファスの姿が溶けて消えて、数十もの姿に増えて現れる。されど、手に持つ武器は様々。徒手空拳、短剣、拳銃、鋼線等々。そして、その全てが黒竜に襲いかかる。殴って蹴って斬って突いて払って撃って縛って裂いて。
「エル、これも使え」
 アスレインは腰に差してある布都御魂剣を鞘ごと空中に放り投げる。
「――我は混沌 故にその力は善ではない」
「俺も負けてられんな」
 刀を抜いて、黒竜の前に立つ。
「――しかしてその力は悪でもない」
「アスレイン流剣術」
 その瞬間、アスレインの姿が4人に分かれ、黒竜を囲む。
「――混沌は混沌であるが故に純粋で」
「幻影」
 4人のアスレインは刀を抜き、
「――混沌であるが故に邪悪である」
「雪!」
 まずは上段からの袈裟斬り。
「――それはただの力である」
「月!」
 続けて、下段からの切り上げ。
「――神聖で邪悪で善で悪」
「花!」
 最後は敵を真横を通ってその腹を薙ぎ払う。
「――導かれるままにその力を振るおう」
「これぞ、幻影雪月花」
 4人のアスレインが再び1人となり、黒竜の後ろに立つ。
「――魔性を滅する力となりて」
 されど、黒竜もアスレインを叩き潰そうと、その尻尾を高く振り上げ、さらには触手を伸ばす。
「――我らが敵を滅ぼさん」
 振り向くと同時に居合の構えをとるアスレインにそれを避ける術はなく。
「――これは魔と闇と影を屠る剣」
「抜刀――」
「神聖十字結界(グランドクロス)」
 空から、黒竜の真上から降ってきたエルファスが、その両の手に掴んだ都御魂剣を黒竜に突き刺す。瞬間、その切っ先から純白の光が輝き、黒竜を、否、黒竜を形作る黒い気そのものを飲み干さんと覆い尽くす。

 ――すぅ。――はぁ。
 息を吸って吐く、その一連の流れと動機するかのごとく、矢の切っ先が揺れる。されど、エレミナは気にしない。いつもどおりの半眼で、暴れている黒竜を眺める。
 ――すぅ。――はぁ。
 揺れ動く切っ先の先、黒竜以外に動くものがある。
 ――すぅ。――はぁ。
 黒竜の切り刻まれる姿を見る。
 ――すぅ。――はぁ。
 黒竜が光に、
 ――すぅ。
 覆い尽くされた。
 ――はぁ。
 息を吐くのが先か、弦から指を離すのが先か。どのみち、矢は放たれた。だが、放った時にはエレミナはその場にいない。当たったかどうかも確認しない。指を弦から離した時には当たっているのだから。

「――燕返し」
 白刃一閃。
 白に喰われる黒竜を両断する。さらに両断した隙間を縫うように、強烈な光が貫く。光は黒竜の体を巻き込み、空中に穿たれた黒い穴へと突き進み、黒竜を形作っていた瘴気をねじ込む。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」
 光が穴に飲み込まれた瞬間を見計らって、月読が印を切る。淡い光が穴の周辺の地面から立ち上る。
「さて、簡易封印は終了致しました。1週間程度なら持つでしょう。できるだけ、しっかりとした封印をやっておきたいですが」
「お疲れ様、月読。エルも。あと、エレ、助かったよ」
 近づいてくる、月読とエルファス、そして、エレミナに声をかける。
「これで、任務完了だ」
 上を見れば黄昏色に染まりゆく空が見える。
「夜になる前に山を下りないとな・・・。遭難はしたくない」
 気がつくと霧の中にいた。目に映るのは白と白と白と白。白一色、五里霧中という言葉の意味を実感している。なんで、私はここにいるのだろう、とアスフィーネは疑問に思う。
「タケちゃん」
 胸に輝くペンダント――建御雷――に話しかける。
「・・・」
「あのう、何か言ってくれないと独り言みたいで寂しいんだけど」
「・・・」
 されど、変わらず無言。
「うう、タケちゃんのいけず」
 それにしても、ここはどこなのだろうか。ここ最近の私は道に迷ってばかりの気がする。取り留めもない物思いにふけり、気を落ち着かせようとする。さて、状況は、と考えたところで、身に覚えが全くない。それ以前に、ここに来る前の記憶がいまいち思い出せない。これは困った。というわけで、前に進もう。どうしようもなくなったら前に進む。困った時はそうすると決めている。故にアスフィーネは、足を前に踏み出そうとして、
「ん?」
 人の気配を感じる。目を凝らして前を見れば白い視界の中に黒い影が見える。
「誰?」
 口に出した途端、猛烈な悪寒に襲われる。
「雷壁!」
 金色に輝く壁がアスフィーネの真正面にそびえ立つ。同時に迫り来る黒い槍を受け止める。
「この魔術・・・お父さんの・・・?」
 アスフィーネが戸惑う間も、槍の応酬は止まらない。鈍い音を響かせながら、一撃また一撃と金色の壁を撃ち貫かん激突する。
「くっ、このままじゃ持たない」
 一度、雷壁を解除して近づく? 無茶だけどやるしかない? どうする。アスフィーネのしばしの迷い。刹那の瞬間に過ぎない迷いながらも、今回は命取りとなる。
「死ね」
 男の声がする。アスフィーネにとっては、懐かしい声で。アスフィーネには決して向けられなかった言葉を紡ぐ。
 アスフィーネの真横。漆黒の影が白銀に輝く刃を振り下ろされる。
 後ろに下がって避けようとするものの、間に合うわけもなく、額を掠る。
「タケちゃん、ありがとう」
 真正面を見つめながら、呟く。とっさに建御雷が魔術障壁を展開したからこそ、掠り傷で済んだ。逆に言えば、建御雷の障壁を切り裂いていたわけでもあるが。
 さて、どうしようか。心のなかで呟く。目の前にいるのは、間違いなくアスフィーネの父親、アスレイン・ルクソール。今の私で勝てるのか、少し弱気になる。お父さんの戦い方を思い出す。相手の得意分野では勝てないから、相手の苦手分野に引きずり込んで倒す。ならば、私の得意分野で押し切る。
「タケちゃん、槍!」
 言うと同時に両手に重みを感じる。両の手で持つように槍が現れる。
「先手必勝! アスフィーネ流戦闘術『疾風刃雷』」
 そして、その槍でアスレインを貫かんと迷わず走りだす。だが、
「展開せよ。闇の障壁」
 アスレインの前に突如現れた闇色の壁の前に阻まれる。
「くっ」
 槍を引く。続けて、壁を打ち砕くために、上から振り下ろす。
「竜牙破砕!」
 振り下ろされた刃は壁を打ち砕き、壁の向こう側にいるアスレインをも襲う。しかし、
「抜刀――燕返し!」
 神速の居合抜きが槍の一撃を弾き返す。アスフィーネはその衝撃に逆らわずに後ろに下がって距離を取る。アスレインはその隙を逃さず、着地を狙って刺突を繰り出す。
「光速三段突き!」
 白き刃が一閃。その一閃のうちに三度の刺突を繰り出す。負けじとアスフィーネも、
「光速三段突き!」
 刀と槍、その違いはあれど、同じ技を繰り出す。一撃目はアスフィーネの刃がアスレインのそれを打ち返す。ニ撃目は打ち返される。そして、止めの三撃目は、お互いの刃の切っ先で受け止め合う。
「くっ」
 相手を見れば余裕の表情。対して、自分は必死で相手の刃に切っ先を合わせる。遊ばれている、そうアスフィーネは感じる。甘く見ないで。
 槍を引いて、空に跳ぶ。
「竜炎投槍!」
 跳躍の最高地点でアスレインに向かって槍を投げつける。
「展開せよ。闇の障壁、障壁、障壁」
アスフィーネの槍を防がんと、漆黒の壁が1枚2枚3枚と次々に展開されていく。されど、ソノ尽くを撃ち貫いてアスレインを襲う。されど、アスレインは余裕の表情。
「守れ、闇の盾よ」
 槍がアスレインを捉えたかと思いきや、直前に展開された盾の前に防がれ、弾かれる。弾かれた槍は雷光とともに消失。それを見ようともせず、アスレインは一振りの剣を取り出す。
「あれは、布都御魂剣! やばっ」
 今なお空中に留まっているアスフィーネはその剣を遠目で確認すると同時に焦りながらも、防御用の魔術を――。
「魔性を突き破れ! 布都御魂剣!」
 それよりもなお早く、布都御魂剣に集まった魔力を突きの要領で繰り出す。例えて言うなら横向きの竜巻。膨大な魔力の塊が暴風を伴いアスフィーネに襲いかかる。
「雷壁」
 アスフィーネの目の前に展開するは、雷を纏い金色に輝く壁。されど、アスレインの放った魔力の渦はアスフィーネが生み出した壁を、まるで最初から何もなかったかのように突き破り、打ち砕き、飲み干し、アスフィーネ自身を襲う。
「がぁっ」
 魔力の渦に巻き込まれ、意識が遠のきそうになるのを必死で耐える。地面にたたきつけられ、二度三度と転がる。
「――かはっ」
 全身が切り刻まれた。一つ一つは浅い裂傷なれど、それが全身となれば、流れだす血の量は少なくなく、アスフィーネの周りに血だまりが出来る。
「・・・」
 無言で建御雷が傷を癒す。傷は塞がるものの、失われた血までは再生出来ない。
「くっ・・・ありがとう、タケちゃん」
 立ち上がるものの、すぐにふらつき、倒れそうになる。
「ダメ。まだ、倒れるわけには」
 ゆっくりと、まるでアスフィーネの恐怖感を煽るようにアスレインが近づいてくるのがわかる。わかってしまう。これは獲物を、弱者を嬲るための余裕。なめられている。同時に、なめられている今ならば、隙をつける。
「タケちゃん」
 いつもよりも小さな声で。
「大太刀」
 顔の前の手に金色の刃を持つ大太刀が形成される。八双の構えをとる。
 たたっ斬る。あの人より疾く。
「チェストォォォォォオオオオオオ!!!」
 跳躍とも思える動きで一気に間合いを詰める。金色の刃は、迷いなく躊躇いなく振り下ろされ――。
 時が止まる。突然、時間の流れが遅くなる感覚。アスフィーネは胸に何かが触れられているのに気づく。目を向ければ、そこにあるのはアスレインの右手。その右手は間違いなくアスフィーネの薄い胸の上に添えられている。否、アスフィーネの心臓の上に添えられている。
 知っている。アスフィーネは思う。この技は知っている、と。
「――ち」
 一。
「――き」
 撃。
「――っ」
 必。
「――つ」
 殺。よく聞こえないが、アスフィーネには何を言っているのかは理解できる。次に何が来るのがわかっている。わかっているのに、体はただまっすぐにアスレインを斬ろうと動き、アスレインの文字通り必殺技を避けようと動いてくれない。
「――掌!」
 その音を聞き取る前に、アスフィーネの時間が元に戻る。
「――が・・・は・・・」
 心臓直撃の気を込めた掌底。アスフィーネの体は後方に吹き飛ばされ、意識を手放した。

 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。

「!!!」
 声にならない声を上げながら、アスフィーネは意識を取り戻す。目に映る空は相変わらず白一色。呼吸は乱れ、荒い息を繰り返す。
「心臓が止まってました」
 ペンダント、建御雷から、珍しく声が聞こえる。
「タケちゃん。しゃべるなんて、珍しい。って、心臓が止まっていた・・・?」
 そして、思い出す。自分が喰らった攻撃を。
「はい。蘇生措置をとりました」
「ありがとう、タケちゃん」
 震える声で答える。ダメだ、勝てない。アスフィーネには珍しく弱気な考え。逃げ道もない。どうすればいい。どうすればいい?
「そのまま死ねばいい」
 新たな声。気がつけば、アスフィーネに見下すようにアスレインが立っていた。ここまで近づいていたことに気づかない時点で、アスフィーネの動揺は見て取れる。
 アスレインはアスフィーネの顔の横に何の気なしに剣を突き刺す。その顔は嘲りの笑みを浮かべる。震えながらもアスフィーネはアスレインを睨み返す。嘲りには負けない、と。虚勢を張る。
「・・・」
「・・・」
 互いに無言。アスフィーネの蒼い瞳とアスレインの金色の瞳がぶつかり合う。
 無言? そこで、ふとアスフィーネが疑問を覚える。なにかおかしい。お父さんなら、こういう時に無言だったか、と。そんなわけはない、と。あの人は、どこまでも・・・。
 震える少女の何かが切り替わる。ニヤリ、と笑みを浮かべ、アスレインを蹴り飛ばす。
「なっ」
 その動きは想定外だったのか、アスレインは避けられず、防ぎながらも後ろに跳ぶ。
「ふふふ、勘違いしていた。絶対に勝てない、と心の中で思っていた。だから、追い詰められていた。それに、忘れていた」
「何を言っている」
「強敵相手には、ニヤリと笑って立ち向かうってことよ!」
 アスフィーネは叫ぶ。
「だいたい、あんたはお父さんじゃない。私のお父さんなら、無言で私を見下すものか」
「だから、どうした。だいたい、お前は、お前の父親を斬れるのか」
「斬れるに決まってるじゃない」
 こいつは何を言っているのだろう、というふうにアスフィーネは断言する。
「仏に逢えば仏を殺せ。祖に逢えば祖を殺せ、って教わってるのよ。そのお父さんからね。親に逢ったら、親を殺すに決まってるじゃない。私の前に立ちふさがった以上、たとえお父さんでもたたっ斬る。むしろ、ニヤリと笑って大喜びでぶった斬る!」
 雷を纏う刀を握り、アスフィーネは駆け出す。
「だいたい、お父さんを振りをするには、あんたには色々と足りないものがあるのよ!」
「足りないもの? 本人相手によく言えたものだ」
「まだ嘘を吐くか。口を開けないように徹底的に叩きのめしてあげる。雷神降臨――オーヴァ・ドライブ――」
 建御雷から金色に輝く魔力が溢れ出る。それはアスフィーネの体を包み、全身に魔力を滾らせ、雷光を纏い、身体能力を向上させる。
「こちらの話は聞かないというわけか。ならば、教えてやる。我が力をな。幻影――」
「遅すぎる! 幻影乱舞」
 互いに放つは分身技。アスレインの分身に対して、その尽くをアスフィーネの分身が、その手に持つ剣で刀で槍で銃で短剣で魔術で、打ち消す。
「豪華絢爛たる乱れ技、見せてあげる」
 攻撃の手を緩めず、さらに攻勢に出る。上段からの袈裟斬り――一の太刀 吹雪――、流れるように下段からの逆袈裟斬り――二の太刀 繊月――、さらに抜きざまに薙ぎ払い――三の太刀 桜花――。
「これぞ、アスフィーネ流戦闘術『絢乱雪月花』」
 油断せず、アスフィーネはアスレインの姿をしたものを見つめる。上半身は血まみれで、致死量としか思えない血を流し、足元には血だまりを作る。それでも、なお、平然と立っている、アスレインに似た何かを見つめる。
 そういうところは、お父さんっぽいんだけどね、とアスフィーネはひとりごちる。
「それだけの傷を負って、人間だって言うのは無理があるんじゃない」
「くくく、バレちまったら仕方ない。だが、人間ごときが俺に敵うと思うなよ」
「ここまで追い詰められて何を言ってるのかしら。あんたはここで私に倒されるのよ」
 そう言って、懐から白い布を取り出し、髪を纏める。
「私の名前はアスフィーネ・ルクソール。人は私のことを雷神と呼ぶわ」
 かなり恥ずかしい。こういう名乗りは初めてだからなおさら。されど、アスレインは無反応。このセリフに対して、名乗りを上げないなんて。やっぱり偽者。これで、迷いなく躊躇いなく揺るぎない一撃を入れられる。アスフィーネは口元に不敵な笑みを浮かべ、最後の言葉を放つ。
「雷神解放――オーヴァ・ドライブ改――」
 同時にアスフィーネは右手を真横に伸ばす。その手には剣が生まれ、超大型剣へと変貌する。
「雷封結界」
 アスフィーネの声とともに雷がアスレインを囲み、その肉体を捉える。
「お父さんにあって、あんたに足りないもの。それは――」
 超大型剣――複製剣天之叢雲・神式――を手にアスフィーネは天へと跳躍する。
「強さも優しさも冷たさも甘さも、色々と足りないものがあるけど、何よりも!」
 もっと速く。雷をよりも疾く。落下速度を乗せ、アスフィーネ・ルクソールの乾坤一擲の刃がアスレインを襲う。
「くっ、展開せよ、闇の障壁。障壁障壁障壁・・・」
 アスフィーネの一撃を防ごうと幾つもの闇色の壁がアスフィーネの行く手を阻むが、勢いを殺すことも出来ず切り伏せられていく。
「厨二病成分が足りない!」
 アスレインの姿をした何かは、抵抗も回避も敵わず、あっさりと頭から斬断される。
 斬った勢いそのままに、前へと跳ぶ。横に一回転させながら、超大型剣を通常の直剣に戻し、地面に突き立てる。
「私と建御雷――わたしたちに――、断てぬもの無し」
 全く、お父さんの振りをするなら、これくらいのどこかで聞いたようなセリフの1つでも言ってもらわないと。せっかく、見本を見せたのに。少し恥ずかしいんだから。と、アスフィーネは心の中で呟き、空を見上げる。
 霧が晴れた空は、どこまでも青く蒼く碧かった。それを見ながら、こんどこそ、アスフィーネは意識を失う。

「ん?」
 目を開けば、そこには心配そうに覗きこむ仲間の顔が見える。えーと、私は何をしていたのかな、と瞬きを繰り返しながら、アスフィーネは思い出そうとする。だが、それよりも前に、皆が喜びの声を上げたり、抱きついてきたり、慌ただしく動いたりし、それは中断される。
「えーと、どういうことなのかな」
 布団から、身を起こし、尋ねる。周りの説明によれば、何人かが夢魔に襲われ、ずっと眠っていたらしい。他の人は早々と目を覚ますものの、アスフィーネだけは三日三晩も眠り続けており、このまま衰弱死をすると思われていたらしい。
「・・・心臓も一瞬ながら止まっていたんだ」
 説明を受けたおかげで、さっきまでの戦い、痛みを感じるほどの現に限りなく近しい夢を思い出す。あのまま、殺されていたら死んでいたんだろうなあ、と述懐する。
 と、そこで、ぐうとアスフィーネのお腹が鳴る。周りは、一瞬呆気にとられ、次の瞬間笑い出す。
「お腹・・・空いた」
 考えてみれば当たり前である。三日三晩寝ていたということは、三日三晩食事を取っていないことと同義。腹は空いていて当たり前である。
 私、食いしん坊キャラじゃなかいんだけど、漂ってくる料理の美味しそうな匂いを嗅ぎながら、アスフィーネはそのまま突っ伏した。
 目を奪われた。その大きな背中に。暗闇の中、燦然と輝く銀の髪に。

 3月の初旬、例年よりも寒さが厳しく、インフルエンザの流行がなかなか収まらない。それどころか、患者数は増すばかり。それは、彼女――神無月聖――がいる孤児院も例外ではなく、実に半数以上の子供が罹患し、隔離されていた。その中には聖が姉のように慕う子供もいた。いつも穏やかに聖を見守る優しい笑顔が印象的な娘だったが、今や布団の中で苦しそうにしている。病人に近づいてはいけない、と大人には散々言い聞かされていたが、聖という少女はそんな大人の言うことを黙って聞くような娘ではなかった。だから、こっそりと忍び込み、苦しそうに咳き込んでいる姉を見て、自分が出来る事を考えた。
 聖の目の前に広がるのは、まだ淋しげな木々の群れ。例年ならば、そろそろ緑色に染まりゆく季節だが寒さのためか、未だに若芽が芽吹く気配はない。そんな中、聖は山に分け入っていく。前にも来たことがあるから大丈夫、そう自分自身に言い聞かせながら。だが、聖は知らない。その山についての噂を。曰く、山に入った子供が次々と神隠しにあう、という噂を。その噂のため、山に近づくものはおらず、野犬や妖怪の巣窟になってしまっている事を聖は知らなかった。ただ、聖という少女を説明すれば、仮にその噂を知っていたところで、間違いなく山に入っていっただろうが。
「どこだったかなあ」
 頭上には寒々とした空と葉が落ちた木々の枝。ところどころに針葉樹の木が生えて入るが、それらの存在が余計に心細さを助長する。少なくとも、聖にとっては。
「この山のはずなんだけどなあ」
 周りを見渡すも、それらしきものはなく。仕方が無いので、さらに前に。本当に前に進んでいるかどうかは不明だが、前にと歩みを進める。迷いながら、悩みながらも、進むことは恐れず。
「こっちかな」
 奥へ・・・奥へと進んでいく。不思議なことに、山の上に行けば行くほど緑は濃くなり、闇は深くなり、日差しは届かなくなる。深い闇の中、それでも聖は後ろを振り返ること無く、ひたすらに前に進んでいく。
「森の奥の開けた場所に」
 震える足を前に。
「どこだったかな」
 前に進んでも進んでも闇は消えない。
「早くしないと」
 今日中に見つけて、戻らないとダメなのに。
「どこ」
 声が震える。行く先も戻る道ももはやわからない。
 その時、聖の耳に葉がこすれ合う音が届く。静寂が満ちている山の中、普段なら聞こえないであろう、雑音も耳が拾ってしまう。
「誰!?」
 目の前の茂みから子犬が走りだしてくる。襲われる、一瞬そう思ったが、子犬はそのまま聖の横を通り過ぎ、消えていった。
「あ、あはは。び・・・びっくりした」
 子犬を見送り、そのまま尻餅をついてしまう。
「何にびっくりしたんだ?」
 響き渡るは低く重い声。
「え・・・?」
 後ろを振り向いてはいけない。でも、振り向かないわけにはいかない。
「だから、何にびっくりしたんだ?」
 どこか、バカにしたような声。
 振り向いちゃいけない。振り向いたら・・・。
 それでも、聖は現実を直視しようと、振り向いてしまう。目に入ったのは2本の赤い棒。この時点で予想はついた。恐る恐る見上げれると、ヒョウ柄の布、赤い腹、赤い胸、どす黒く染まった牙。これ以上は見ちゃいけない。そう思いながらも、最後まで見ようとする。赤い目。そして、額にそびえ立つ一本の角。鬼である。
 脱兎のごとく、文字通り脱兎のごとく、聖は走りだした。行き先なんてわからない。それでも、少しでも遠くに行くために。転けそうになる。耐える。枝が顔に当たって傷をつける。痛い。転ける。すぐに起き上がる。走る。ただ、走る。木々の群れの中を走る。様々な方向から伸びた枝が聖の顔を体を腕を足を斬りつける。血が出ようが、服が破れようが、聖はお構いなしに走り続ける。そして、足を踏み外す。
 叫び声さえ上げることすら出来ず、坂を転げ落ちる。体は悲鳴をあげ、服はボロボロ。転がった際に靴まで脱げている。
「逃げきった・・・?」
 息を整えるため、近くにあった大きな木の影に隠れる。膝を抱えて、顔を埋める。
「見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんように」
 乱れた呼吸を整えること無く、ひたすらに祈る。祈りは・・・。
「もう終わりか」
 後ろから覗き込む気配。生暖かい息遣いを感じる。恐る恐る顔を上げると。
「ひっ」
 四つん這いで逃げ出す。見栄も矜持も捨てさって、逃げるために全力を尽くす。逃げながら、両の足だけで走りだそうとするが、
「いたっ」
 足に激痛が走り、バランスを崩して転んでしまう。振り返れば鬼がにたにた笑って、悠然と立っている。バカにするな。バカにするな。足が動かないなら、手を動かせばいい。這ってでも、少しでも逃げようとする。なのに、手が動かない。足も動かない。心とは裏腹に体は折れていた。諦めていた。逃げ切れないと。せめて、相手を睨めつけることくらいはしようと、振り返る。
 案の定、相手は笑っている。何も出来やしないと笑っている。バカにするな。バカにするな。バカにするな。地面につけていた手が何かに触れる。もう、それが石なのか枝なのか枯葉なのか土なのか、何なのかわからないけど。無我夢中で投げつける。投げつける。
 だが、それも無駄な抵抗。顔に当たれば違ったかも知れないが、ほとんど鬼には届かず。届いたとしても足まで。鬼のゆっくりとした足取りは止まること無く。手を伸ばせば聖の体に届く距離まで来た。鬼はゆっくりと手を伸ばし、
「う・・・う・・・」
 泣きそうな心を抑える。
 ――音が聞こえる。
 歯を食いしばって耐える。
 ――枝を折る音。折られる音。
 怖いから涙は出る。それでも、泣かない。
 ――葉っぱに物が当たる音。
 目を見開いて鬼を睨みつける。鬼は笑っている。
 ――音が近づいてくる。
 鬼の手が聖の顔を覆い隠そうとした、その瞬間、聖の視界は黒一色に染め上げられた。木々をなぎ倒す音がして、何かが吹き飛ばされる。
 次に聖の目に入ったのは銀の髪。腰まで届きそうな髪。闇の中でさえ、己の存在を確かなものとすべく、闇夜を照らす月の如く輝く。夜の旅人の道を照らすように、この輝きは聖を導くのだろうか。
「間に合った」
 低く冷たい声。聖がよく聞く声。たまに孤児院にやってきて、遊んでくれる人の声。その時と何も変わらない声。
「これでもかぶっていろ。ぼろぼろだぞ」
 そう言って、銀髪の人――リーテス・エレキス――は、羽織っていたコートを聖に投げ渡す。聖は言われたとおり、頭からコートをかぶる。裾が地面につくが、今更気にするほど、聖には余裕が無い。
「昨今の神隠しの原因は貴様か」
 リーテスは、鞘から剣を抜き、むき出しの白銀の刃を肩に背負う。聖は目の前に落ちていた鞘をなんとなく拾って、胸に抱く。
「ならば、どうする」
 鬼は、土埃こそ付いているものの、目立った外傷もなく、立ち上がる。いつのまにやら、分厚い刀を握っている。青龍刀だろうか。
「斬る」
 即断即決。迷わずリーテスは鬼を両断せんと走りだす。対して、鬼はリーテスの刃を受け止めるため、青龍刀を頭上に掲げる。金属と金属がぶつかり合う音が響く。リーテスの刃は青龍刀に受け止められる。
「こんなものか」
 鬼が笑う。対して、リーテスは無言。距離を取って剣を構い直したところで、胸元から電子音が流れる。剣を地面につきて、胸元に手を入れ、電話に出る。
「はい」
 最初の一撃を防いだ余裕か、鬼は笑うだけで動こうとしない。
「リーテス? 許可いる」
「不要だ」
「そう、わかった」
 所属する組織の隊長からの電話。リーテスが持つ魔剣の真の力の解放を許可をしようとし、リーテスが拒んだ。それだけである。胸元にスマートフォンをしまい、再び剣を両手で持つ。
 鬼が笑っている。さきほどからずっと。同じように笑っている。
 聖はその笑い方に違和感を覚えた。あれは、孤児院でも見た笑い方だったから。何か悪戯を企んでいる笑い方。相手が気づいていないから浮かべる笑み。一体、何を企んでいるのだろう、と。自然と鞘を握る手に力がこもる。そのせいかはわからないが、鞘が淡く白く輝く。
「神聖(グランド)――」
 リーテスの声が響く。地面と接している鞘の先を中心に、大地に十字が刻まれる。それもまた、淡く白く輝く光。
「――十字結界(クロス)」
 十字から立ち上った淡い光は輝きを増し、聖の視界を覆い尽くす。不思議と恐怖は感じず、穏やかで暖かな光に包まれる。
「ぎゃ」
 後方から声。聖が驚きと共に振り向くと黒焦げの塊。2つの角らしきものが見えることから、鬼だろうか。黒焦げの表面にちらほらと青い部分が見える。
「え?」
 聖は再び鬼を見る。鬼は目を見開き驚愕している。
 そして、その瞬間を見逃すリーテスではない。息を吐くと同時に前に進み、上段から振り下ろされた剣は止まること無く鬼を襲う。
 対して、鬼も負けない。リーテスの動きを見て、先と同じように頭上に青竜刀を掲げる。先ほどと同じように金属を金属がぶつかる音が響き渡る。リーテスの剣が青竜刀を壊し、鬼の角を割り、頭蓋を砕き、股まで一気に断ち斬る。
 一刀両断。
 鬼は叫び声どころか、驚く間もなくその命を消す。剣についた血糊は、まるで刃に吸い取られるように消える。それを確認した後、リーテスは剣を地面に刺す。
「さて、帰るぞ」
 その言葉で聖は気づく。この人は私を探しに来たんだ、と。私を助けに来てくれたんだ、と。それは嬉しい。でも、それはダメ。
「ダメ。ダメなの」
 故に聖は必死に声を上げる。思っていた以上に疲れていて、たった一言を言うのにも苦労する。
 リーテスは無言。聖が持っていた鞘を取り、剣をしまい、肩に掛ける。一連の動作にあまりに無駄がなく、聖はつい見とれてしまった。
「あ」
「どこに行きたい?」
 聖をコートごと抱きかかえ、聖の知識ではお姫様抱っこをし、リーテスは淡々と問う。
「お花を探しているの。お花を」
「どこにある」
「わかんない。でも、上の方」
「しっかり捕まっておけ」
 瞬間、景色が動く。聖は言われたとおり、リーテスの首に腕を回す。流れていく景色にしばし目を奪われる。聖が必死に逃げまわった森の中、リーテスは自身だけでなく、聖すら一切傷つけずに駆け抜けていく。聖は目を凝らして、目的の花を必死に探すが、見つからない。目に入ったらすぐにでもわかるのに。
 開けた場所に出る。暗い森の中から急に開けた場所に出たので、強烈な光が聖を襲い、反射的に目を閉じた。
「ほう」
 リーテスの感嘆の声。何事かと思い、聖はリーテスの顔を見て、リーテスが見ている方向を見る。
「うわぁ」
 見つけた。探していた花が見つかった。やっと見つかった。怖い思いをしたけど、本当は私の勘違いだったんじゃないかと思ったけど、あった。見つかった。
 目の前に広がるは、一本の桜の木。3月初旬だというのに、満開の桜。
「これか」
「うん」
 先ほどまでの速度とは違い、今度はゆっくりとリーテスが近づいていき、桜の木の根元に行く。
「枝を切れば良いのか?」
「うん」
「わかった」
 そう言うと、リーテスは聖を地面に下ろし、桜に向かって手を合わせる。祈るように、願うように。聖も習って、同じようにする。聖がずっとそうしていると、再び抱え上げられた。
「ちゃんと持ってろ」
 桜の枝を渡される。
「しっかり掴まっていろ」
 そう言って、リーテスは聖を優しく抱きかかえる。
 跳んだ。翔んだ。飛んだ。
 聖が周りを見渡すと空の青しか目に入らない。眼下に広がるのは木々の群れ。聖が一日中駆け巡り、逃げまわった森。
「空・・・飛べたんだ」
「まあな。地に足が着かんから好きじゃない」
 ずっとこうしていたい。そんなことを聖は思いながら、リーテスに捕まり、眼下に広がる景色を眺めていた。

 時計を見ると、11時55分。まずい。まずいまずいまずい。あと5分しかない。
 孤児院に戻ってから、今まで怒られていた。それだけ心配をかけてしまったのだから仕方が無い。服はぼろぼろ、体中傷だらけ。それで怒らなかったら、いくら何でも薄情だと思う。親身になってくれているのが本当に嬉しい。でも、いくら何でも、時間を使い過ぎだと思うんだ。そんなことを考えながら、聖は夜の孤児院をこっそりと移動する。目指す目的は、姉の部屋。
 ひっそりとした暗闇の中、聖は急ぐ。暗がりでも、大好きな姉の部屋は間違えない。目的の部屋の前にたどり着き、ノブに手を伸ばしてはたと気づく。鍵がかかっていたらどうしよう、と。そんな不安。鬼に襲われた時ですら泣かなかったのに、急に泣きたくなる。それでも、勇気を出して聖はノブを掴み、回す。果たして、鍵はかかっていなかった。
 音を立てぬようにドアを開け、部屋に入る。ベッドの傍に行き、姉が寝ているのを確認して、ベッド横の机に瓶に淹れた桜の枝を置く。側にあったイスに座って、寝ている姉の顔を覗き込む。
「誕生日、おめでとう。桜花(さくら)お姉ちゃん」
 寝ている少女――三月桜花――の穏やかな寝顔を見て、安心したのか、聖の意識がここで途切れる。

「ん」
 窓から差し込んでいる光で目が覚めた。起き上がり、体を伸ばす。ここ数日はずっと寝ていたので、体のあちこちが痛い。すっかり、体の調子も良くなったのか、体が軽く感じる。カーテンを開けて、気分を一新しようと思い、ベッドから降りようとして気づいた。
「あらあら」
 穏やかな顔で眠る少女、神無月聖に。机を見れば、自分の名前と同じ花が生けてある。彼女、三月桜花はそれを見て、微笑む。そして、聖の頭をそっと撫でる。起きたら、一体何があったのか聞こう、と思いながら。
「あら」
 撫でている手が少し熱い。どうやら、聖が熱を出しているようだ。私の風邪が感染ったのかしら。今度は私が看病しないといけないわね、と桜花は思いつつ、優しく撫で続けた。
「お姉ちゃん・・・」
 聖の寝言。ふと窓を見れば、カーテンの隙間から青い空が垣間見える。今日も良い日になりそうね。
「ん・・・」
 カーテンを通して届く淡く白い光で朝だとわかる。
「んー」
 起きなければならない。それはわかっている。でも、眠い。まだ眠い。暖かい布団の中から出たくない。だが、このままでは遅刻してしまう。せめて、時間だけ確認しようと思い、枕元の目覚まし時計に手を伸ばし、時間を確認する。針は7時を指し示していた。やば、寝過ぎた。アス君や久遠君に早めに来てくれって言われてたっけ。
「はぁ」
 ため息ひとつ。
「なんか良い夢見たから、夢の続きを見たいんだけどなあ」
 そう言いながらも、行動は迅速。ベッドから飛び起き、布団を綺麗に直し、瞼を擦りながら部屋から出て台所へ。1人暮らしにしては少し大きめの部屋。
「ふぁああ。んー物が多いから、部屋が多いのを買ったけど、こういう時はワンルームの方が良いなあ」
 寝ぼけているのか、思ったことが先程から声に出ている。
「どんな夢だったかな。凄く良い夢だったんだけど。思い出せないのが悔しいなあ」
 台所に着き、冷蔵庫からペットボトルの炭酸水を取り出す。一口二口飲んだところで、流しに向かう。ペットボトルを脇に置き、流しで顔を洗う。近くに置いたタオルで顔を吹く。目が覚めた。棚から栄養補助食品をいくつか取り出し、先ほどの炭酸水で流し込む。寝起きは食欲がないので仕方がない。炭酸水を飲み干したら、歯磨き用のガムを噛みながら、部屋に戻る。クローゼットから仕事用の服を取り出し、着ていた服をベッドに放り投げ、着替えを済ます。部屋の中央に置かれた机の上から仕事道具、ナイフや銃などを見えない部分に納めていざ出勤。
「いってきます」
 玄関先で、誰もいない部屋に向かってそう挨拶し、彼女――エルファス・フィルレイス――の日常が始まる。

「ふぅ、間に合った」
 特殊戦闘教導隊、と書かれた扉の前に立ち、一息つく。
「おっはよーうご・・・って、あら?」
 いつもどおり元気良く挨拶をしながら、扉を開けるが
「誰もいないじゃない。なんで鍵が開いていたのかしら?」
 人の姿はなく。気配を消しているわけでもなく。正面を見ようが、右を向こうが、左を眺めようが、誰もいない。珍しい、と呟きながら、エルファスは自分の机に行く。上着を椅子に折りたたみながら掛け、パソコンを起動させようと机に視点を移すと紙切れ一つ。
『研究室に来てくれ。 三月・久遠』
 と、簡潔に。彼らしい、そう思いながら、エルファスはパソコンとディスプレイの電源を押して部屋を出る。武器を入った上着を持っていくことは忘れない。常に武装は忘れない。それがエルファス・フィルレイスの有り様。常在戦場? 否、彼女のそれは違う。生きることが戦いと思っているわけでもなく、戦うために生きているのでもない。彼女はただ殺してきた。殺すために生きる。呼吸をするのと同様に殺す。人が水中で呼吸をするために酸素ボンベを必要とするように、彼女はただ生きるためだけに人を殺してきた。しかし、それも昔の話。今はこんなにも平穏な生活を過ごしている。それなのに、無意識に人を殺すための道具を手に取る自分の無意識に苦笑する。いつものこと、そう考えながら廊下を歩く。時々思う。自分はこんなにも幸せで良いのだろうか、と。碌な死に方はしないんだろうな。でも、それも仕方ない。自分の今までやってきたことを考えれば、当然の報い。その時はその時。死の直前まで全力で生きよう。ここに来て、そう思えるようになった。
「あ」
 気がつけば、久遠の研究室の扉の前。思っていた以上に自分の考えに没頭していたらしい。軽く扉を叩き、
「久遠君、いるー?」
 中にいるであろう人物の返事を聞かずに扉を開ける。
「ふむ・・・やはり、肉がメインヒロインだな」
 奥の方から若い男の声が聞こえた。見ると、うず高く積まれた資料が邪魔で奥まで見えない。背表紙を見る限り、資料と言うよりかは暇つぶし用の本らしい。主に文庫本に新書、ハードカバー、それどころか漫画も一緒くたに積まれている。こういうのって、勝手に整理されたら怒られるのよねー、と思いつつ、一番の上の文庫本を手にとって、適当にページをめくる。分厚いわね、と思いながら、流し読みをしていると、
「ん? 来ていたのか。読みたいのなら貸すが、読むなら上巻から読むことを薦める」
「あ、久遠君。おはよう」
 振り向けば、マグカップ、匂いからコーヒーが入っているのだろう、を片手に持ち、白衣を着た黒髪の青年が立っている。眼鏡の奥の瞳はエルファスが持つ本に注がれている。
「あ、勝手に読んじゃまずかった?」
「いや、そこに積んであるのは読み終わったものだから別に構わない。ただ、それ下巻だ」
 言われて、本の表紙を見る。
「あら、この男の子可愛い」
「そいつ、女だから」
「え? ・・・今話題の男の娘(こ)?」
「いやだから女だって」
 ふーん、と相槌を打ちながら、エルファスは表紙に記されたタイトル名を確認する。そこには、《境界線上のホライゾンⅠ下》と書かれている。
「ねぇ、これ下巻?」
「ああ、下巻だ」
「上巻は?」
「そこにある、それと同じくらいの分厚いやつ」
 コーヒーを持っていない方の手で、エルファスが今しがた本を取った山の一番上を指さす。《境界線上のホライゾンⅠ上》と表紙に記され、そこには同じよう絵柄で銀髪の少女が描かれていた。
「銃弾防げそうね。あと、武器になりそうね」
「なぜお前はそう、何でもかんでも武器にしたがるか」
「いや、この分厚さを見ていると、胸元に入れて、もしもの時の反撃手段にしたくなって」
 笑いながらエルファスは答えるが、対する久遠は苦笑い。
「それ以前に、それが懐に入る服がないと思うが」
「あはは、それはそれ。特注すれば」
「いや、特注してまで持ち運ぶものじゃないだろ」
 呆れた顔でエルファスを見て、マグカップに口をつける。
「ところで、メモの件で来たんだけど、何の用?」
「ああ、ちょっと待・・・いや、こっちに来てくれ」
「はいはーい」
 本、紙、電子機器、何かの空箱、いろんな物が山積みになっている中、慣れた足取りで奥に行く久遠。同様に、辛うじて見える床を選り分けてエルファスも奥に行く。埃ひとつ立てずに歩く2人が凄いのか、そもそも埃がないのか。
「これだ」
 本と紙と電子機器と空箱の山の間、天板が見える机の上に銀色の指輪が8つ置いてある。
「注文通りに作ったが、本当に8個で良いのか?」
「うん、これで十分。親指には付けないからね。ありがとう」
 満面、というに値する笑みで久遠に感謝し、早速、親指を除く両手の指にはめていく。
「あと、他に見てもらいたいものが」
「ん? 何」
 両手の指に指輪をはめ終わり、軽く手のひらを握ったり開いたりしながら、具合を確かめている。
「ちょっと探してくる。その前に、コーヒーでも飲むか?」
「あ、ありがとう」
 久遠は未だに持っていたマグカップを、近くのディスプレイが置かれた机の上に置き、流しの方に行く。流し横の食器置き場から綺麗なコップを取り出し、コーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。
「砂糖とミルクは要らないんだったか」
「うん。何もいらない。そういえば、久遠君はビーカーで作るイメージだったんだけどなあ」
「最初の頃はやっていたが、こっちで淹れた方が楽だからな」
「そうなんだ」
「期待に応えられなくて悪かったな」
 苦笑を浮かべながら、彼にはそれがいやに似合うが、コーヒーカップを片手にこちらに来る。
「ほい。じゃ、少し待ってろ」
 持っていたコーヒーカップをエルファスに渡すと、機械類が山積みの机に向かう。この部屋はもう少し整理したほうが良いんじゃないかなあ、と思いながらコーヒーに口をつける。見渡せば、本が山積みの机に、武器らしきものが山積みの机、ゲームの箱だろうか、色とりどりの箱、中には18の文字が強調されているものもある、が積んである机。埃が積もっていそうで全く積もっていない机に床。はてさて、如何な魔術の所業か。だが、残念ながら、この部屋の主は魔術が使えない。ただ、物を作るのが些少得意なだけである。
「ねぇ、久遠君」
「なんだ?」
 武器らしきものが積まれた机の上で何かを探しながら久遠が返事をする。眼鏡が落ちそうになっているが、わざわざ言うことはない。
「名前の間に黒い点を挟むのはなんで?」
「・・・? ああ、『・(なかぐろ)』の事か。あれは、お前がさっき手に取った本、『境界線上のホライゾン』での名前の表記を真似ただけだ。ほら、カタカナの名前だと『・(なかぐろ)』が付いているだろう。作者は漢字名にも同じようにつけたんじゃないかと、俺は思ってる。それを見習っただけだ。勝手にな」
「なるほど。っと、こんな感じかな」
 指輪が調度良い具合にはまったらしい。傍から見れば何気なく、右手を軽く振る。すると、指輪から白く光り輝く線がいくつも生み出される。
「うーん・・・これでどうかな」
 エルファスの言葉が発せられた瞬間、先ほどまで輝いていた線は、夜色に染まる。
「よし、完璧。久遠君、ありがとう」
「気にするな。で、見てみたいものはこれだ」
 探し物が見つかったのか、久遠は楽しそうに笑うエルファスに近づき、両手に持った物を見せる。それは銃だろうか。拳銃ではなさそうだ。何より、銃身が異様に長い。エルファスの目測では自分の身長よりも高い。さらには、銃口の直径も大きい。
「今作っているものなんだが、意見が聞きたい。基本コンセプトは携帯性と威力の両立」
「いやいや、携帯性って。あ、分解と組み立ては簡単ってこと」
「一応な」
 そう言って、久遠は銃身を少しまわし、あっさりと取り外してみせる。
「一応、これを取り外した状態でも使える。後は弾は魔力弾かビームか実弾で悩んでいて、全部使えるようにしようかと思っているが」
「まだ完成してないんだね。んー」
 銃本体をいじりながらエルファス。
「まあな。現状ではこの銃身をつけてぶっ放したら、銃身がぶっ壊れるだろうな。それに、武器そのものの使い勝手が悪いものは作りたくない」
「んーライフル銃か。横に持つ所、や、トリガーが欲しいかな、私の場合。いや、でも、解体することを考えると、トリガーは銃本体に・・・むむむ」
「それも考えたが、銃本体でも使えて、追加装備をつけるとパワーアップとか考えると、その辺が難しくてな。それと解体じゃなくて分解だ」
「あはは、日本語って難しいね。追加装備ってことは、その無駄に長い銃身以外にも何かあるの?」
「無駄って言うな。さっきも言ったが、魔力弾、ビーム、実弾用の装填パーツを組み込んだり、反動で吹き飛ばないようにするための、支えを取り付けたり。そのあ辺りをな」
「言っちゃ悪いと思うんだけど、別々に作った方が良くない?」
「それだと浪漫がない。一つの武器であらゆる局面に対処できるからこそ燃える」
「ああ、そういうこと」
「半分以上、趣味で作っているものだからな。で、自分で使うとして、何か気になる点はあるか」
 久遠は、エルファスの手から銃本体を、取り替えしながら問う。
「コンセプトは面白いけど、私は別々に作った方が良いと思うな、としか言えないな。参考にならなくてごめんね」
「そうか。いや、こちらこそ、時間を取らせてすまなかった。サンプルではなく、曲がりなりにも実機が完成したら、もう一度、意見を訊くさ」
「じゃあ、その時を楽しみにしてる。じゃ、私はそろそろ部屋に戻るね」
「ああ、わかった」
 最後に、エルファスは残っていたコーヒーを飲み干し、久遠の研究室を出ていく。その後ろ姿を見て、久遠は何かを思い出し、
「ああ、そうだ。言ってなかったな。おはよう、エルファス・フィルレイス」
 こう言った。
 エルファスは、その声を聞き、研究室の扉付近で立ち止まる。振り向いて、満面の笑み。
「真面目だねぇ、久遠君は」
 そして、相手の返答を待たずに扉を閉めて廊下に出る。そろそろアス君は来た頃かな、と思いながら廊下を歩く。時間が時間なのか、ちらほらと人を見かける。夜勤組との交代の時間だろうか。すれ違う人たちに、おはようございます、と挨拶をしながら、歩みを進める。そして、何度も自分の指を、指にはまった指輪を見て、ついつい笑みを浮かべている。これをどう使うか、これでどう戦うか、そう言った事を考え、頭の中でシミュレーションしながら。無論、相手はエルファスが思う最強。彼ならば、どう対処するか。想像するだけで楽しい。故に早く会いたい。戦いたい。浮かぶ笑みは愉悦か喜悦か。己の妄想(シミュレーション)に耽りながら廊下を行く。だから、エルファスは気づかなかった。自分の部署の部屋を通り過ぎていたことに。
「あ。行き過ぎてる」
 慌てて駆け戻り、扉を開けようとすると、中から声が聴こえる。この声はアス君と月読君か、そう判断し、目の前の扉を全力で開ける。
「おっはよーございまーす!」
 果たして、アスレインと月読はいた。元気良く解き放たれた挨拶は彼らの耳にももちろん届き、それぞれ挨拶を返す。
「おはようございます、エルファスさん」
「ああ、おはよう、エル。待っていたぞ」
「おお、私を待っててくれたの。流石アス君。じゃ、早速やろっか」
 嬉しそうにアスレインの下に駆け寄るが、対するアスレインはつれない態度で、
「やるって何をだよ」
「殺し愛」
「やらないよ!」
 さらりと物騒なセリフを笑顔で宣うエルファスに対して、まるで長年コンビを組んできた漫才師のツッコミのように即断即決のお断りをするアスレイン。別に2人とも漫才をしているわけではない。
「仕事だ。仕事。まあ、お前の望み叶え・・・少しだけ叶えてやれるが」
 椅子に座ったままのアスレインは、見上げる形で正面のエルファスを見据え、挑発するように告げる。
「へぇ、それは楽しみ」
 対し、不敵な笑みを浮かべながら応じるはエルファス。その笑みは、これから始まるであろう、戦いへの、命のやり取りへの期待が見える。その時突然、扉が開く。そこにいたのは長身の青年。長い銀の髪を後ろに流し、背中に身長ほどもあろうかという大剣を背負い、黒の外套に黒を基調とした陰陽寮支給の戦闘服。受ける印象は黒衣の剣士。目鼻立ちは整っているが、どこか冷たさを感じさせるのは銀の瞳故か。アスレイン達を見る目は鋭い。真一文字に結ばれた口が開き、言葉を発する。
「おはよう」
「おはよう、リーテス」
「おはよう、リーテス君」
「おはようございます、リーテスさん」
 銀髪の青年、彼の名前はリーテス・エレキス。陰陽寮特殊戦闘教導隊の副長にして、隊長たるアスレインの頼りになる左腕。背中に背負った剣を机の近くに置き、自分のパソコンを起動させる。
「で、アス君。今日は一体どんな仕事?」
「それはな」
 と、アスレインが説明しようとしたところ、
「む。ルクソール。コーヒーどこだ?」
 棚の前、コップ類が並べられているガラス戸の棚の前で、何かを探しながら、リーテスが問う。
「コーヒー? ゴールドブレンドの瓶なら、その棚になければないよ。ないの?」
「ない」
 返答は簡潔に。
「おい、誰だよ、次の補給係」
 そう言いつつ、席を立ち壁に掛けられているホワイトボードの前に立つ。そこには特殊戦闘教導隊全員の名前と今月の予定が書かれており、端の方には磁石で紙が貼り付けられている。紙には『買い置き順序』と上部に記され、隊員の名前が入った表が記されている。ほとんどの名前横の欄にはチェックが入っており、最後の1名だけチェックが入っていない。そこには『ルーイン・エシュレイト』と書かれていた。
「ルーめぇ・・・」
 何やってんだよ、と呆れつつ、
「リーテス、残念ながら今日はないわ」
「ふむ」
 マグカップを片手に思案顔。
「あ、さっき久遠君がコーヒー淹れてたよ。貰ってきたら」
「そうか。そうするとしよう」
 エルファスの言葉を受け、マグカップ片手に部屋を出ていこうとするリーテスが、扉を開けようとしたら、自動で開く。
「おは、うわ!」
 扉を開いた張本人が驚いて後ずさる。驚いた相手は、長身のリーテスよりさらに高く。髪の色は眩く輝く金髪。瞳の色は少し暗めの緑。気弱そうな表情から、性格の方も察しできる。おそらく、扉を開けた瞬間、内面はどうあれ、傍目からは冷たい印象を受けるリーテスの表情を見て、驚いたのだろう。実際、コーヒーが無くて少し不機嫌になっているのは間違いないわけで。
「大丈夫か、エシュレイト」
 驚かせてしまった張本人、当人は別段悪いことをしていないが、リーテスが声をかける。
「あ、はい、すみません」
 対し、謝る金髪の青年。彼の名前はルーイン・エシュレイト。先程、買い置きの当番を忘れていた男である。陰陽寮の制服の上から龍柄のジャケットをはおり、右肩に長い槍を担ぐ。首の後ろでくくった長い髪は腰にまで届く。その身長から人を見下ろすことが多く、初めて会う人に怖がられるが、実際は戦闘中以外は少し気弱な青年である。
「おはよう、ルーイン」
 リーテスの隣にまで移動したアスレインが、
「おはよう、ルーイン君」
 片手を挙げながら、エルファスが、
「おはようございます、ルーインさん」
 扉の方に顔を向けて、笑顔で月読が、
「ああ、おはよう、エシュレイト」
 少し不機嫌そうに、リーテスが。それぞれ挨拶をする。
「あ、はい、おはようございます」
 挨拶攻勢に、ルーインも同じように気弱な笑顔を見せつつ挨拶を返す。
「じゃあ、俺は三月のところに行ってくる」
 マグカップを手に、リーテスは久遠の研究室に向かう。
「さて、ああ、ルー・・・イン? 何してる、そんな所で突っ立ったままで」
「え、ああ、何?」
「いや、まあ、いいや。これ」
 そう言って、ルーインに千円札を渡すアスレイン。
「何これ?」
「・・・いや、お前の次は俺だからな。もしかして、買い置きの当番、忘れてる?」
「・・・あっ」
「・・・」
「す、すいません。今日、見回りの時に買ってきます」
「ああ、頼む。予備もないから、俺の分も買っておいてくれ。あと、今回はお前がくじを作れ」
「はい」
 アスレインが席に戻り、続いて、すっかり肩を落としたルーインが自分の席に着く。
「さてと」
 アスレインが受話器をとると、
「ん? アス君、何してるの?」
「いや、タクシーでも呼ぼうかと思って。現場遠いし」
「じゃあ、私が運転しようか」
「ん? そうか。じゃあ、ホワイトボードにその旨を書いておいてくれ」
「はいはーい」
 ホワイトボードに駆け寄るエルファスを見つつ、受話器を置く。アスレインの武装は二振りの刀と二振りの剣。立ち上がってその4点を身につけ、パソコンの電源を落とす。
「月読は準備終わったか?」
「ええ、終わりました」
「エルは?」
「準備万端」
 両手を腰に当てつつ返答。何が一体そこまでの自信をもたせるのやら。
「じゃあ、行くか。ルーイン、ちゃんとインスタントコーヒー、買っておけよ。あれがないと、リーテスが不機嫌になる」
「う、ああ、そうですね。それはちょっと・・・」
「ん? 誰が不機嫌になるって?」
「お前だお前」
 いつの間にやら、リーテスが扉の前に戻ってきている。
「もう戻ってきたのか。早いな」
「余っていたから、すぐに貰えてな」
 言いながら、席に戻る。横のホワイトボードを見ながら、
「ルクソール、フィルレイス、神凪は1日いないのか。勤怠管理はやっておく」
「ありがとう、リーテス」
「ああ。何か困ったら電話くれれば・・・暇そうなミレイン辺りを寄越せば良いんだろ」
「や、困った事態になったら誰が必要か言うから。あと、ライじゃ間に合わん」
「そうか。まあ、行って来い。気をつけてな」
「ああ、了解。そっちも何かあったら連絡くれ」
「じゃあ、私、車の鍵借りてくるね」
「ああ、頼む」

 車のドアを開け、空を仰ぐ。澄み切った空は蒼く染まり、太陽は穏やかに輝く。されど、肌を刺す風が今が冬であることを実感させる。
「いい天気だけど、寒いな」
 吹き荒ぶ寒風に思わず肩を抱き震える。陰陽寮の黒い制服の上から羽織ったマントがたなびき、長い黒髪が流れる。アスレインである。
 反対側のドアからは、コートを腕に掛け、エルファスが出てくる。
「おーいい天気ねー」
 腕にかけていたコートに袖を通し、己の武装を確かめるかのごとく、指を這わす。無意識の行為なのだろう。
「電気自動車とは良いものですね。音が静なのでゆっくりと眠れました」
 後方のドアからは、編笠と錫杖を手にした月読。
「寝てたのかよ。気づかんかった」
「ええ、おかげ様で」
 半眼で睨むアスレインの視線を涼しい顔で受け流す。
「うん、確かに静だったね。後は車体を黒くすれば」
 アスレインと月読の会話を無視し、エルファスは銀の車体を撫でながら、黒い笑みを浮かべる。
「待て待て待て。黒く塗って何をする気だ」
「それはもちろん夜道で」
「夜道で目立つように銀色じゃないのか。黒くしてどうする。危ないわ」
「いやいや、目立たないようにしないと」
「いや、いつまで暗さ」
「ちょーちょー2人仲良く漫才するのは構わないんだけど、いつまで待たす気なのよ」
 そこに響くは第三者の不機嫌そうな声。
 アスレインが振り返ると、そこに立っていたのは、白と紅の対比。白い小袖に緋袴という、所謂巫女装束に身を包んだ女性。茶色の長い髪をはためかせ、組んだ腕の片方には文庫本を持ち、意思の強さを感じさせるつり目でアスレインを睨んでいる。さも、私、今不機嫌です、と主張しているかのように。
「もういたのか。早いな」
「そりゃ、あんたんとこのお偉いさんに頼まれて、すぐに家を出たからね。こんなにも待たされるとは思わなかったけど」
「それは、すまない」
「気にしなくていいわよ。あたしが急ぎすぎただけみたいだし。それより、これ」
 文庫本を持っていない方の腕、左手を右の袖に突っ込み、紙切れを取り出す。
「はい」
「・・・タクシーの・・・領収書?」
 アスレインが反射的に受け取った領収書には、『陰陽寮特殊戦闘教導隊様』と書かれていた。
「エレさんエレさん。何でお前のタクシー代が俺の部署の経費なの?」
「あんたのところの偉いさんに聞きなさい」
「長官・・・」
 頭を抱える。ただでさえ、最近は厳しいのに、とため息と共に愚痴を吐く。
「仕方ない。わかったよ。そのかわり、頼りにしてるぞ」
「あんたたちほど強くないわよ。やれるだけの事はやるけどね」
「十分。さて、そろそろ行くか。エル?」
「ん? 何? 電気自動車なら充電のセットしておいたよ」
「ありがとう。じゃあ、月読、案内は任せたよ」
「はい、任されました。悪い気の方に向かって歩けば良いのですよね?」
「ああ、頼りにしてるぜ」
「じゃあ、行こうか」
 前から順に神凪月読、アスレイン・ルクソール、エルファス・フィルレイス、そして、巫女装束の女性――エレミナ・フォルツテンド――を伴い、月読が悪い気と表現した、異変の原因を探りに行く。
 月が輝いている。いつも見る月よりも大きく感じる。お世話になっている屋敷の縁側に座りながら、白銀よりも黄金に近しい光を眺めながら、黒髪の少女――アスフィーネ・ルクソール――は右手に持った煙管を弄ぶ。時に口にくわえてみたりしながら。別に吸っているわけではない。ただ、父親の形見の品だから持っているに過ぎない。もともと吸う気はないし、考えてみれば、父親が吸っている姿は見たことがなかった。口にくわえている姿は何度も見たけど。そんな思い出を思い返しながら、アスフィーネはこれからの事を考える。
 さて、困った。何が困ったかというと、どうにもこうにも別の世界に来てしまったらしい。もともといた世界は、《門(ゲート)》の影響で異世界に行くもの、異世界から来るもの、に対しては寛容だったし、行ってから戻ってくるのも、不可能ではなかった。ただ、それはきちんと管理されている《門(ゲート)》の話。しかしながら、今回は管理されていない《門(ゲート)》を通り過ぎたようで。というか、通り過ぎた記憶がない。そう、だから困っている。
「ねぇ、タケちゃん」
 借りた浴衣の上、胸元に眩く輝くペンダントに語りかける。
「これから、どうしようか?」
 されど、ペンダント――建御雷――からは返事はない。そもそも、何があっても、どこであっても、アスフィーネ・ルクソールのすべき事は変わらない。それを理解している建御雷は返答する理由がない。
「わかってはいるんだけどね」
 昼間の説明を思い出す。曰く、アスフィーネみたいな来訪者がここ最近は多い。曰く、誰も彼も何かしらの力を得ている。気功術、表現として正しいかどうかはアスフィーネにはわからないが、を扱う格闘家。当人は英語教師だと主張しているらしい。日本刀を持った、女子高生だろうか、アスフィーネの知識では間違いなく学生の制服を着た少女もいた。炎使いの野生児みたいな人もいた。精霊使いだと主張する3人組もいた。うち1人が風使いで残りの2人が炎使いだった。炎使いの方は学生かな。学生と言えば、少し変わった学生もいた。自分の苗字を指して、悪がどうたら言っていた。他にもピンク髪のツインテールで2丁拳銃の少女や篭手からパワードスーツを呼び出す人まで。
 一体、何が何やら。この世界では最近はそんな事象が頻発しているらしい。きっと、呼び出されたのには何かあるわけで。その中で、この世界での役割を考えなくてはならない。人の行為に無為なもの、無駄なもの、無意味なものがない、というのがアスフィーネの信条。運命と言い換えても良い。何かしたの運命がかかわって、本来は出会うはずのない人たちが出会ったのだから。その中での自分の立ち位置は・・・と考えて、何かが引っかかった。今この瞬間まで考えたことの中に気になることがある。
「・・・悪」
 そう、悪である。アスフィーネの父親は善悪を気にしない人だった。そこにあったのは正義のみ。たとえ間違っていることであろうと、迷いなく貫こうとする人の味方になろうとしていた。対して、たとえ正しいことをしようとしていても、迷う人間には容赦なく立ちはだかっていた。それは覚悟の違いだろうか。覚悟をした人間の味方をして、覚悟をしていない人間を試した。正しき義に味方し、邪なる義に抗った。父親とて、常にそうであったわけではないと思う。自分の正義に照らし合わせて、覚悟した人間の前に立ちはだかった時だってあるとは思う。思う思うばかりだ、とアスフィーネは一度考えるのをやめて、空を見上げる。輝く月は穏やかに大地を見守っている。
 覚悟。私にも決める時が来るのだろうか。今までだってどうにかしてきた。どうにかなってきた。悲しい別れもあったけど、私はまだ生きている。これからも生きていく。為すべきことは、まだたくさんあるはず。自ら動くことで得た情報が、アスフィーネを縛る。動かなければならないのはわかっている。ただ、どう動けばいいのかがわからない。
「学校か」
 今日、この世界の事について説明してくれた人たちは、とりあえず学校に通わないか、と誘ってくれた。魅力的な提案。
「せっかくだから、楽しもうか。タケちゃん」
 相変わらず、ペンダントは無言。
「じゃあ、手始めに学校に行かせてもらおう」
 立ち上がり、体を伸ばす。悩みが消えたわけじゃない。迷いが消えたわけじゃない。ただ保留にしただけ。答えを出すには情報が少ない。故に、アスフィーネ・ルクソールは行動する。困った時は動く、それだけである。
 ああ、でも、あの制服はちょっと恥ずかしいかな、とアスフィーネは思う。あれ、着なきゃいけないのかな。出来れば動きやすい、ここに来た時に着ていた服が良いな、と。



 その後、しばらくしないうちに、この場所は戦火に包まれた。アスフィーネは迷いなく戦いに身を投じる。戦いの中、アスフィーネはその覚悟を問われることとなった。

 ああ、これが覚悟を決めた人の顔。眩しいな、と戦場でありながら、アスフィーネは見とれてしまった。この人のために何が出来るのだろうか。そこまで考えて、アスフィーネは気づく。
 そうか、こういう事だったのか。お父さんが覚悟を決めた人の味方をした理由は。こんな顔を見せられたんじゃ手を貸したくなる。お父さんなら間違いなく助けた。私も助けたい。じゃあ、もう迷う必要はない。この世界で私がやりたい事は決まった。それが本当に正しいことかは知らない。でも、私が好きだったお父さんなら、間違いなく助ける。じゃあ、決まった。あの人がいた場所に立つためにも、私も助ける。
 覚悟は決まった。迷いも消えた。悩みも消えた。私はこの人を助ける。この人が行こうとする道を切り開く。
「そっか、決めたんだ。私も手を貸すね」
 あまりにも嬉しくて、アスフィーネはつい笑顔になって、相手の顔を見てしまう。相手もまた笑顔。覚悟を決めた者が浮かべられる透き通った笑顔。
 格好良いなあ、そう思い、アスフィーネは振り向き、再び戦場を見る。右手には剣を。無駄な粧飾を捨て、剣として必要なものしか取り付けていない両刃の直剣。複製剣天叢雲改式。ただ、その刃は鞘に入ったままである。
「『雷神解放(オーヴァ・ドライブ改)』」
 未完成故に、肉体への負担が大きすぎて、本当は使ってはいけない技。それでも、使うのを躊躇わない。
 胸のペンダントが輝く。雷が全身に覆う。右手の剣は超大型剣へと変化する。武御雷のリミッターを解除し、肉体強化と防御に全て回す。制御しきれない雷がアスフィーネの体を焼き、直後に建御雷の力によって癒される。全身に痛みが走るがお構いなしに、アスフィーネは剣を構える。右肩に柄をのせる。刃を地に、柄は天に向け。アスフィーネ・ルクソールは道を切り開くために、突き進む。
「許可する」
 低く小さく、しかしながらよく通る声。それでいながら、心底嫌そうな声が響く。
 その声を聞き、銀髪の剣士は己が両手に力を込める。同時に思う。ああ、ルクソールはこの力を使う状況が来るのが嫌なんだな、と。刃が後ろに伸びるように持った身長ほどもある両刃の大剣を肩に担ぎ、力を込める。剣士の名前はリーテス・エレキス。風に流れる長き髪は月光のように銀。されど、身にまとう外套は夜色。外套の下の服装も、陰陽寮支給の制服のため黒。事故が動きやすいように幾許か改造されているものの、改造度合いは比較的少ない。平均より高めの身の丈。大剣を操るに見合った体つき。右前合わせの上着に、長ズボン。全身を覆う黒衣。それ故に目立つ銀の髪と瞳、そして白銀の刃。しかして、その刃は、今や月を失いし闇夜の如き漆黒。闇色は周囲に漂い、刃の形を朧気にする。
 対して、リーテスの前に立ちふさがるは、悪鬼羅刹の類。赤き皮膚と頭より天に反逆するかの如く突き出す2本の角。赤鬼である。広刃の刀を片手で操り、血の色をした瞳は爛々と輝く。破壊衝動に身を委ね、魅了され、突き動かされる人間だったものの成れの果て。口元は醜く歪み、嘲笑を浮かべる。今まさに、目の前のか弱き人間を嬲ろうと舌なめずりをする。
 されど、赤鬼のその願いは叶うことない。リーテスは流れるように、刃を空に向け、右前で構えをとる。次の瞬間、
「チェェェェェェストォォォォォォォオオオオオオオオ!!!!」
 リーテスから発せられた鋭く低い声を合図にして、次の瞬間、轟音と共に赤鬼は真っ二つに割かれる。有に5間は離れていたであろう距離を瞬時に詰め、一刀のもとに赤鬼を両断したのだった。直前に広刃の刀で防ごうとしたのは、流石は人外の赤鬼と言ったところか。されど、その防御行動に意味はなく。包丁で豆腐を切るかのごとく、刀を断ち切り、頭蓋を斬り裂き、その勢いで股先まで通り過ぎ、大地に穴を開ける。漆黒の刃を持つ魔剣の力とリーテスの技が組み合わさることにより、完成される必殺の太刀。その技能に敬意を込めて人は呼ぶ。《黒衣の魔剣士》リーテス・エレキスと。ちなみに、余談ではあるが、リーテスの趣味はTVゲームであり、休みの日はゲームセンターで格闘ゲームやシューティングゲームに勤しんだり、TPSやFPSと呼ばれるジャンルのゲームを家でやっている。余談ではあるが。
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